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最近の会話から - 2004年08月11日(水)

本当は、もっと個人的なことですごく大事なことがあるのだけれど、
つまりだいじな人と喧嘩をしてしまって、その後相手からメールが来たのに、
わたしが実家にいて落ち着かないというのと
そのことについて何からどう考えていいのかさっぱりわからないというのとで
ろくな返事が書けません。


それでこの日記にはまったく違うことを書こうとしているわけです。


先日、知り合いと話していたときに
「仕事に本気になるか」という話をしていました。
それはバイトでも同じことです。
たかがバイト、と思って「ある程度以上」であればいいと設定する人もいれば、バイトだろうと関係なく本当に真剣に取り組む人もいるでしょう。
もちろん、当人にとって「やりがいのある内容かどうか」という要素は大きいでしょうけれど、わたしは、とても個人的に、「仕事が自分を本気にさせてくれる」という考え方は好きではないのです。

それと同じように、「残りの学生生活に希望がない」などと発言するのも好きではありません。わたしは絶対に言わない。
なぜなら、自分頼みの姿勢ではないと思うからです。
やりたいことをやって、いやな思いをしたとしても何の後悔もなく、何かひとつでも打ち込んだことを胸に抱いて学生生活を終えられると思っていれば、希望なんて言葉は出てこないはずだと思うのです。
これは、「学生生活ももう少しだから、今しかできない何かをしたい」と言うのとは、違う種類の発言だと思っています。


それから、複数の人を束ねるポジションに立って、その人たちに「わたし」についてきてほしいと思うとき、「わたし」に必要なのはカリスマ性ではないと思っています。
カリスマ性があれば、確かに人はついてくるでしょうけれど、それは天性のものであり、誰もが身につけられる、あるいは持っている、というものではないと思います。
必要なのは「仕事をしているのだ」という気持ちではないでしょうか。
それはたとえばリーダーではなくても、つまりどんなポジションにあっても、同じだと思います。
自分の意見、発言は、属する集団(が目指す目的)にとって有益であるか?
どのような言動が、仲間も含めた周囲の人間にとって有益か?
という問いを持ち続けることができれば、「仕事ができる」し、結果的に人はついてくると思うのです。
集団において人のこころを掴みたいという話で「仕事」などというととてもドライなようですが、むしろそう考えることで、一緒にいる仲間のことを最大限に思いやることができると、わたしは思います。

そして、頭は、立場が上のときに下げてこそ効果がある、これは本当だと思います。
本当に必要で、それが最善であれば、きちんと頭を下げられる人間になりたい。
本当には必要でなく頭を下げるのなら、きちんと下げられなくてもいい。
そう思ってしまうわたしは、やはりまだ甘いのかもしれませんが。

少なくとも、仕事は、わたしは本気でやります。
石の上にも三年。

ああそういえば、就職活動中に面接で「リーダーシップと聞いて何を思うか、なるべく短く答えてください」と言われました。
わたしの答えは「お互いを信じること」です。


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INDEX
past  will





Not one night
one single day
that I wouldn't give to you
So with all my might
in every way
I'll try to forget to you

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