14ページ。 - 2003年10月20日(月) 今日の6限の授業にレジュメが間に合って万歳。あー久々に危なかった。 で、調子に乗って、今日も。 えっと、いきなりですけど、社会の近代化=学校の近代化、なわけですよ。 だから、日本では学校の近代化は明治時代から始まるわけです。 その前、江戸時代の庶民の学校は寺子屋、これは「寺子」が集う「屋」だから寺子屋で、行く時間も帰る時間も自由というか勝手気まま、いろんな年代の子どもが同じ部屋で勉強してました。はっきり言っててんでんばらばら。で先生は誰がやってたかというと、これが武士なんですね。さらに藩校(藩学)という学校もありましたが、これは各藩がそれぞれ子弟を育てるために設立したものなので、通った人は限られていました。つまり、大きな都市以外では、士農工商のなかで学校に通ったのは武士だけ、商人は必要な知識をそれぞれのお店で教えてもらってたわけです。 ここまででわかると思うんですが、江戸時代が終わるまでは、制度としての学校はべつだん必要じゃなかったんです。これはこれでうまく機能している社会だったし。 それでこの頃は、士農工商という身分階層が表す通り、武士は学があって、だから人として立派である、ということになっていたんです、少なくとも建前は。 大事なのは、「学がある」=「人格的に完成されている」=「人の手本となることができる」=「人にものを教えることができる=先生になれる」という考え方が根強かったということです。 それが、明治時代になって、制度としての「学校」を考え始めたら、「学校の先生になれる人」を大量に養成する必要があると政府は気がついたわけです。それで師範学校と高等師範学校ができるのですが、文部省が創設しようとした学校の当初の名前は「師表学校」なんですね。はいここ注目。 さあ、岩波国語辞典第五版。 【師範】 学問・技芸を教える人。先生。「剣術の―」 【師表】 世人の模範となること。そういう人。 つまり、最初に作ろうと思ったのは「人格的に完成された人を育てる学校」で、それは従前読み書きを教える立場だった人物がそうだと思われてきたからなんだけれど、結果的に作れると判断したのは「師範」を作るための学校だということです。 まあこれは現代語の辞典だから、語の解釈がどこまで通用するのかはわからないけれど、この辞典の記述に立脚して考えるとそうなるんじゃないかなと。 「師範」は養成できるけれど「師表」は養成できない。 けれど江戸時代に存在していたのは「師表」だった。 簡単に言うとそういうことじゃないかと思います。 だからさ、江戸時代には先生をつくるって発想自体がなかったんだよね。 それにしても、この授業で扱ってる本、よくまとまってるなあ。 読みやすくはないけど、きちんと読んだら確実に力になるだろう。 そういう本にはなかなか出会わない。 それはいい本があまりないからだけではなく、今の自分には読んでもわからないものがかなりあるからでもあるけど。 -
|
|