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書けば少しは落ち着くのかな。 - 2003年07月02日(水)

EF出場組のみなさん、毎日の練習、おつかれさまです。
技術的なことは先生がついているし、残りの部分は、一人ひとりの気持ちに拠るところが大きいと思うので、わざわざ言うことはありません。
けれど、どうか、どうか、楽しんで。
本当に自分たちのための演奏を、してきてください。
賞はたしかに目標だけれど、その先にあるものは何かと問われたとき、その答えを準備できないのならば、賞をもらっても意味がない。
ゆふやの言いたいことがそういうことなのかは、わからないけれど、少なくともあたしは、そう思います。


でも、それでも、……。
今日はとても悔しい気分になりました。



あたしは、自分で自分のしたことに対して「あたし頑張ったなぁ」と思うことは滅多にない。
それはきっと、自分がそれ以上できないくらいの頑張りをしたかどうかということよりも、自分のほしい結果が得られたかどうかということに目がいくからなのだろうと思う。
自分が限界まで頑張っていて、本当はそれがわかっていても、望む結果にならなければ、「あたしはまだ限界まで頑張ってない」と思えばいいのだから…

去年、いろんなことがあったなかで、少なくともあたしは、出場を強く望んだメンバーとして、サークルの現状でできる最大限のことをして大会に臨もうと思ったし、実際そういうふうにしたつもりだ。演奏面だけではなく、自分の役割という部分も含めての最大限。でも状況からみて、上の大会に出場できる見込みは、最初からなかった。それは決して逃げ道を用意していたという意味ではなく、客観的に考えるとどうしてもそういうことになってしまう、ということだ。
それならば、あたしの目標は、当初から、メンバー全員が、楽しく、自分のための演奏をすることだったはずだ。そしてその目標は、あの難曲を「うまく」演奏する、というかたちで表出するのだ、と考えるのが妥当だろう。大会に勝つための多くの要素は、あの曲では無視されているのだから。その場合、賞は本当に目標から除外され、追求すべきはあくまで演奏それ自体とそのときの演奏者の心境であるはずだ。
そのはずなのだ。

「あなたは頑張った」とその人に言われた、つまり認められたのは、後にも先にも、あのとき一回きりだ。恐らくこの先そんな会話を交わすことは二度とないだろうから。あたしは、頑張った、というその言葉も嬉しかったけれど、それ以上に、他の誰でもなく、その人から認めてもらったという事実が嬉しかった。
けれど、なぜそんな言葉が出てきたのか、と考えれば、それは、彼から見て、他ならぬあたし自身が、納得がいっていないように見えたから…なのである。


今日聴いた演奏は、技術的に追いついていないところはあるものの、明らかに、「勝つ」ことを意識し、それが前面に見えるようなものだった。その後ろから、楽しさが見える、そんなふうにあたしには受け取れた。穿った聴き方だろうか。
しかしもしも、去年のあたしにとって本当に賞が目標ではなかったなら、今日の演奏を聴いても悔しいとは思わないのではないだろうか。

エレクトーンでご飯を食べている先生とは違って、私たちは素人だ。
それなのになぜ、悔しいと感じてしまうのだろう。
そして、そんな心の中とその理由に気づいてもなお、今年のメンバーに「演奏を楽しんでほしい」と言ってしまえる自分は、いったい何なんだろう。
それならば、いっそ彼のように、「勝つことが目標だ」と言って憚らないことこそが、本当に正直であるということなのだろうか。


それでもあたしは、最初に書いたことを捨てきれない。
ステージでの演奏が楽しかったこともまた、事実だからだ。
ひとりで出てきたこれまでのEFに比べて、一昨年と去年のEFは、比較にならないくらい楽しいステージだった。
だから、「出ることに意義がある」という考え方が低次元だとは決して思わない。出ればそれでいい、というのとは、まったく違うものだから。





あなたはきっとわかってるね。
あたしなんかより、ずっと正直なのがあなただから。
応援しています。


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INDEX
past  will





Not one night
one single day
that I wouldn't give to you
So with all my might
in every way
I'll try to forget to you

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