「饒舌な傷跡」
本当の心ってどんなもの?そんな単純な事が解らなくなってどれくらい。自分の心で心を去勢した時から、これまで。諦める事が上手くなった。信じてしまうという裏側の、予め期待しないというスペアキーで。わたしは何よりも自分を信頼していて、何よりも信頼していない。他に触れて何処かのこころを安心させるよりも、自分の世界をあたためられる独りの時間が好きだ。でも結局は、誰かの眼に映る自分で己の存在価値を確かめているのに。 つまらないなら幾らでも塗り替えてしまえる。要らないモノは棄ててきたし、本当に必要なモノは離さない。身軽になった心に詰め込むモノは幾らでも存在するから。 見ようとして見えないものなど無いと誰かは云う。それならわたしは何時まで見えない振りをしてる?解っているのに解っていない振りをして、突き放す。それがまるで当たり前のようになってしまったなあ‥。その世界で、その最中に在って、わたしは誰なんだろうと疑問が浮かぶ事もなかった。自分の存在価値が他人を通してでないと確認出来ない人間が、「愛している」という言葉を貪欲に喰い散らかしていたとしても。 微笑う、という事。私は微笑えてはいないかも知れない。もうずっと前からホントの笑顔など忘れてしまったのかも。綺麗な夕陽にも月にも空にも海にも、何も感じない自分が居た。だから探す。求める。この手に無いものを。穴だらけのこころから零れ続ける感情を留めておこうと、感動を無理してでも逃さないように刻もうとする。 わたしはわたしの中に在る闇を観る。光を観るために、生きていくために。わたしの眼は何も映さない。死を思い出さないと生きていられないかのように。「前だけ見て」進む‥振り払わなければならないものも在る。でも過去を塗り潰してまで立つ途を歩むくらいなら骸となり、路傍の草花と化す方がいい。 でも、何度となく蘇生を繰り返す精神に草臥れてしまう。イツマデ生き続ければいい、ひっそりと終りが来ればいいのに。そう繰り返すわたしの一部分。生きるという絶対的な「有」の最中でわたしは余りにも卑小で、傷跡だけが饒舌。心は未だ死んでないと思える瞬間に、それでも赦されるだろうか。少しずつ少しずつ積み累ねた罪科。この世界に産んでくれてありがとうと言えないまま、二十年余り存在してしまった人間でも。 抱えて生きていこう。闇も光も全てを真実として。虚無に捕われた身で、生きる事に対しても無気力であったとしても、いくら望まなくとも、血が赫を忘れない。そうやって私はこれからも生きていくに違いない。いつかは活きたいね。愉しみながら。 |