うらぎり - 2004年05月16日(日) 缶バッヂ開封結果 愛ちゃん(07)、柴ちん(41) 先月半ばあたりからの3週分くらいを素ッ跳ばして、ここ2週分(HPW以前/HPH以降)の放送を視ているので、未完結の状態。僕にとっては。 何本録りなのかは、知らないけれど、そのうちに「ムラ田」さんはその場所から何事も無かったかの如く居なくなるんじゃないか?とか、何処か片隅でヘンな観測を抱いたりしてしまう。 微妙な加減に以前のコーナーの余香が残っていて、何となく経過点的な雰囲気を感じてしまうので、暫くすれば、より大々的な看板の塗り替えがあるんじゃないかなぁ?とか、あらぬ期待をしてみたり。 いやきっと、裕子さんが六期を扱い慣れるまでのクッションとして、あさ美さんや、めぐみさんが居るんだ!と頑なに思い込む・・。 よく考えれば、さゆみんとの配合は既に別にあるわけだし、たぶん再来月あたりには、裕子さんと亀井ちゃんとれいなによる三つ巴なコーナーが始まっている筈ですよ。そうゆう根も葉もない確信が、明日への糧。 振り返ってみれば、初代はその座を去って後にも、在りし日に未練たっぷりだったような素振をそこかしこで垣間見せていたような記憶があるわけで(捉え方は、無論、人それぞれでしょうけれど)、小川ちゃんにとっての「ピーマコ」は、結果的にいろいろな殻破りや開花があったように見受けられたりもすれど、じゃそれが生き甲斐だとか、そこに魂をぶつけるような、心血注ぎこんだ居場所だったのか、それは本人以外には与り知ることのできないものなんで、一応、僕は愚にも付かない忖度だけはしないように、って心積もりで書いているし、つまらない同情めいた贅言を並べる必要もないでしょうけど、「卒業」に直面するファンの一心情ってのはこうゆうものなんだろうな、ただ、別れの言葉だったり「卒業式」のない卒業はすっきりしない物足りなさはあるし、また逆に、今更に過去を振り返って涙するのも底抜けな彼女らしくない、なんて考えてみたりもして、毎回の自己紹介時の掴みパフォーマンスなんてのも小川ちゃんのひとかたならぬ向上心の部分が顕れていた気がして、そう考えるならば、ひとつ所で腰を落ち着けるよりかは新たなステージへのステップアップとして素直に喜びたい、ってゆう偽らざる心情もあるのは、一週間前の日記の通り。「卒業」てゆう契機だとか、「卒業式」みたいな形式もそれはそれで重みのあるものなんだろうけれど、そこを経てどう歩いてゆくのか、ってことのほうが、より僕にとっての関心の中心なので、まぁ、そう直ぐに展開を期待しても性急なんでしょうけれど、小川ちゃんの現在形を語ってくれる姿なり声なりを目にし耳にするのが待ち遠しい日々になるだろうな、その耳目から一瞬だけ隠れている合間に、ホンのちょっとだけでも搾ってくれたら・・なんて贅沢は言いません。 ...
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past will |