蕩尽日記...OG-Love

 

 

私の好きな二本映画 - 2003年09月16日(火)

さくらおとめpart.2写真、購入。

キャンディーファスナーヘッド開封結果
アヤカ


『17才 旅立ちのふたり』を観て思ったこと

静かな映画でした。

いちばんの印象に残った場面は、真衣子の家の食卓に招かれた理沙が、耕太の言葉遣いをとがめて「《お母さん》、でしょ」と諭すシーン。あそこで雷に撃たれました。クールな役を演じきった美貴様は、どこか遠くを見詰めているような物憂い目つきをしていて、そこに哀愁を感じます。そしてそんな姿に想う、僕たちはお互い、さびしいんだよね・・・って。

この映画を僕は「17才」という名の幻想を追いかける「旅」だと感じました。
「・・・じゅー・・・なな・・・さい・・・」と、声にならない声で呪文を呟きながら、「少女」という名のファンタジーを求め、彷徨い、歩き疲れ、それでも捜し求め続ける哀しい男の果てしなき遍歴。
(実際、この映画に登場する男性人物の様々なバリエーションは、非常に興味深いものがあります)

たとえばパンフで石川さんが言っています
「学校の先生を好きになるのは青春ドラマらしくてカッコイイなぁと思うけど、自分の身には考えられないですね」
夢で描いた理想形をあっさりと裏切ってくれています。
虹色に輝いて透明な彼女たちは、絶対的な不可知存在である、という事実が、この手に掴むことはおろか指先で触れることすら叶わないファンタジーたる所以とも云えるでしょう。

さきに挙げた印象的なシーンは、そんな自分にとっての「17才」幻想の輝ける結晶の一欠片でした。非の打ち所無い美しさが音楽のように響いた瞬間でした。
僕にとって、苟も男として生まれたからには、ここに描かれているような美しく壮大な幻を胸に抱きながら、悶々としてあたら日月を空しく費してゆく事こそが、価値無き人生にとって最も価値ある所業であり、それこそが青春と云うものであって、1938年のお生まれという監督さんの内なる情熱には全く以て敬服するほかありません。まばゆい光を必要とせずに、或る煌めきを表現してしまう技の奥深さ、常人には易々と真似の出来る代物じゃないでしょうね。

チョコ目当てに、もう一度、観に行くのもいいかもなぁ。
・・なんてぇのは、恥ずかしさを紛らわすためのつまらない言い訳。
映画の価値を決めるのが、なにがしの賞を獲ったか、なんてことじゃないのは当たり前なんだけど、ささやかながら、この映画とそれに係わった皆さまに心をこめて賞(何の値打ちもナイけれど)を捧げます。
たとえばそれが進んでリピーターになることとか。

さらに言うなら、もし自分がまだこの世に在るとして、10年後、20年後に、またこの映画を観るのがたのしみです(その点では『ばかちん』の方が、より、たのしみだったりする)。


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