2004年01月12日(月) |
20th/i forget, i remember |
成人式に行って、同じ中学の人々との2次会から今帰ってきました。 明日語学のテストでこんなことをしている場合ではないんですが…。
行くか行かないか迷ってたけど、行ってよかった。 みんな、5年前の友人や、当時好きだった人との交流を深めてました。 自分は、といえば、楽しくやっていたところに、まったく顔に見覚えがない男子に話しかけられました。
「おまえが昔チョコレートって呼んでたやつだけど、覚えてる?」
つか、アナタ誰!?
くらい、まったく覚えのない顔だった。 ふつう、昔の友人の顔ぐらい、見れば思い出します。 しかも、なんかオサレなノンケな感じの男だったので、ふだんそういう人と交流がない分(笑)、余計ビックリ。 だから、「人違いじゃないかなァ」とドキドキしてたら、それは小学校の時に、自分が「チョコレート」とあだ名で呼び、遊んでからかっていた、色の濃ゆかった男子なのでした…(ちなみに自分はなぜか「厚化粧」と呼ばれていた)。
幼少からこんなにまで顔が変わる人って、人生で初めて見ました。 色も薄くなり(…。)、ひさしぶりの再会を楽しみました。
追記
チョコレートに話しかけられて、10年ぶりに、ずっと忘れてたその思い出に気づいた。 でも、話しかけてくれたということは、彼はずっと忘れてなかったんだろう。 そうして気づかされてみれば、確かに、からかって遊んでいた楽しい小学校時代の思い出がたくさん出てくるなー。
自分にとって何でもないことが、相手にとって大きな思い出だったり(or その逆も然り)することは、別にあたりまえなのに、それがとっても不思議で、なつかしくそして切なく感じた。 友達のことを忘れてしまっていた自分が、すこしだけ悲しかった。
誰かの思い出(過去)から自分が消されてしまうのは、あまり嬉しくないばかりか、怖いことでもあるのに、やっぱり自分自身も、思い出を選んで拾捨している、誰かにとっての「他人」なんだなーと思った。
楽しいことや感動したことが、そのまま残ればいいのにな。
でもそんなことはできないのは分かっているし、逆に誰かに忘れられてしまったからといって、いちいち傷つくのはナンセンス。
自分にもみんなにも、「今」が用意されていて、その「今」を大切にしてこそ、過去のちっぽけな自分へのご褒美と、これからの自分へつづくみちを与えられる気がした。
戻りたくはないけど、もうあの頃には戻れないんだなと思うと、涙がでてくる。 深夜に電話をくれた、そんな過去や思い出は知らないはずの恋人が、なぜかすごく懐かしく、いとおしく感じて、鼻水をたらしながら「ありがとう」とひとことつたえた。
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