2003年12月28日(日) |
「こうして生活は流れていく」 |
最近、大学の新しい友人とどうつきあったらいいのかわからず、誤解されたり、うまくゆかなくて後ろ向き。うまくいかないのを、すべてセクシャリティや、自分の外見のせいにしてしまっていて、どうにもこうにも最低な思考の日々。 そもそも、自分からカムアウトしたわけでなく、勝手にアウティング(他人に言いふらされること)されたことが、今になって面倒なことになった。 こんな状況で、まわりは冷たい。「自分に自信があるなら、堂々としていればいい、そうすれば面倒になんかならなかった」という。 でも実際、自分に素直であることって、思っていたより簡単じゃないなーなんて、思ったりもしています。
職場でも学校でも、からかわれたり探りを入れられたり、その他の自分の個性を、自分で効果的にプロデュースしていこうとすることに、集中できない。 こういう、対人関係の結び目がダマになってくると、「説明してそのダマを解く」ということを、めんどくさがってやらない怠惰な自分。
すぱっと切るか、非常にうまくやるか。
何事もそのどっちがが好きだ。 でもあんまりよくない考え方…。
今日、中学のころの親友と久しぶりに食事したんです。 片思いしているんだって。 中学。その頃、同じ陸上部の同級生が好きだった。 私はいまとなっては、もう男の人と時間を共有して信頼しあい、恋愛をするということは想像できないけど、14の頃なんて、つきあうとか時間を共有するとか、私のまわりはそういうのはなかった。想うだけだったから、その思い出だけはなんとなく悪いものじゃない。
親友はその「恋」をしていた私しか知らないわけで、今日、「彼氏とかいないのー?」と自然に聞かれたことが、普通ならいやなのに、今日はすごく新鮮で嬉しかった。今の大学の友だちなんか、遠慮して聞かないもんな。失礼しちゃうわ(笑)。 恋人は、今日は「彼氏」ということになってしまったけど、会話していてあまり違和感はないことに、ちょっとした進歩を感じた(決して、偽るという意味ではなく)。 「あぁ、N(親友)も、私も、ただ誰かを想っているっていう点でまったく同じだな。なにも違わないなー」と。
「違い」とか「マイノリティは」とか、分析的にぐちぐち恋人に愚痴っていると、彼女は広大な心の視野で、思いもよらないアドバイスをくれる。なにごとにも囚われない、自由なこころの持ち主。
そんなとき、はたと気付かされる。
そうか、私ってただ視野がせまいんだな!
ってね。
すてきに年をとりたいな! これが来年の抱負! i wish you a happy New Year. よいお年を。
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