セクサロイドは眠らない

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2007年03月01日(木) まるで、初めて女性と寝る男の子みたいに情けない声を出しながら、僕は彼女のほっそりした体を抱きとめることに精一杯になった。

僕の仕事は、「文例」を作ること。

手紙の文例集なんかを集めた本を出版している会社で、一日中、文例を考えている。もっとも、小さな会社なので、他にもいろいろなことをしている。たとえば、文例集を購入した人からのお礼状を整理したり。

社長と僕の二人だけの会社で、社長は、僕の大学のOBだ。僕が所属していた映研の先輩から紹介してもらった。四年の夏を過ぎてもろくに就職活動もしてなかった僕に、選択の余地はなかった。

実は、その会社に就職するまでは、文例のニーズがこんなにあるなんて知らなかった。たとえば、「猫を引き取ってもらったお礼」とか、「長く借りっ放しだった本を返す時のお詫び」とか、「十年以上帰省していない実家の母への近況報告」とか。それぐらい自分で考えろよ、と思うのだが。社長が「じゃあ、次は、『海外留学した娘に出す手紙』ってやつな。よろしく。」などとメールしてくるたびに、僕は、頭を抱える。文句を言おうにも、社長は、ほとんど事務所に寄らず、あちこちをふらふらしている。最近では、文例を検索するサイトを作る打ち合わせだとかで、何日も帰って来ない。

それでも、給料はきちんと振り込まれるし、文例集を買ったという読者からの反応はなかなかいいし、で、僕はその仕事をもうかれこれ五年も続けていた。

ある日。

滅多に人が訪ねて来ない、その事務所に、一人の女性が訪ねて来た。

三十代前半ぐらいの、ものすごい美人だ。

「あの。『困った時に役立つ100の文例』を読んだのですが。」
「あ。はい。それ、うちで出版したやつです。」
「この文例を作った方にお目にかかりたくて。」
「僕です。僕。」
「まあ。あなたが?」

彼女がとても嬉しそうな顔になったから、僕の顔もついほころんだ。

「で?何の御用でしょうか?」
「お礼を言いに来たんです。」
「お礼って。わざわざ?」
「ええ。」

彼女は本当に嬉しそうな顔で、僕に、菓子の包みを差し出した。

「そんな。気を遣わないでください。」
「いいの。召し上がってください。」
「で?どんなことでお役に立ったんでしょうか?」

彼女は、目次を開き、ある項を指差した。

それは、「単身赴任の夫に離婚したい旨を告げる時の文例」であった。そんなもの、書いたっけな?一日に幾つも文例ばかり考えているので、正直、これまで書いたものをあまり覚えていなかったのだ。

「って、これ、離婚ですか?」
「ええ。そうなの。あなたのお陰で、無事に離婚することができたわ。もらうものはしっかりもらったし。」
「それって。何かまずいんじゃないすかねえ。」
「どうして?本の帯には、『困った時に役に立つって』書いてあるわよね。私、本当に困ってたんですもの。夫は、単身赴任先で女と一緒に暮らしてるし。家にお金入れないし。」

彼女は、それから、ふふっと笑った。
「ごめんなさいね。つまんないお話よね。それより、ねえ。ご飯食べに行かない?お腹空いちゃったわ。」

時計はまだ夕方の五時だったので、僕はどうしたものかと悩んだが、正直なところ、彼女の色気には相当まいっていた。結局、社長に電話して了解を得、僕は早めに仕事を切り上げた。

歩きながら、彼女は訊いて来た。
「ねえ。あなた、お幾つ?」
「僕ですか。僕は、28です。」
「いいわねえ。文才があって。」
「文才なんて。そんなものないですよ。」

それから、僕らは、日本酒を飲み、フグを食べた。もちろん、彼女の奢りだ。その後で、彼女に誘われて彼女のマンションに行った。

初めて会った、しかも、僕のせいで離婚してしまった女性と二人でベッドに倒れこんで、一体何やってんだろうな。

考える暇もなく、彼女の白い手が僕のズボンのベルトに掛かった。

「あっ。」
まるで、初めて女性と寝る男の子みたいに情けない声を出しながら、僕は彼女のほっそりした体を抱きとめることに精一杯になった。彼女の口と、手で、僕はその後の数時間、ただ、なすがままになっていた。

「ねえ。私の専属にならない?」
あまりにも激しい性交が終わって、ぐったりとしている僕に、彼女は訊いて来た。

「専属って?」
「私のためだけに、文例を作るの。」

僕は、わけが分からなくなって、しばらく考えていていた。なんで、離婚したばかりの女性が、専属の文例屋を必要としているんだろう?そんなことを考えてながら、結論が出ないまま眠ってしまった。朝になり、隣でシーツにくるまって眠っている彼女を残して、マンションを後にした。

--

「で?退職届か?」
「はい。」
「その女の専属になるわけ?」
「いえ。」
「じゃあ、どうすんの?お前、これから他の仕事見つけられるの?」
「何とかします。」
「ん。分かった。好きにしろ。」

僕が社長に出した辞表の文面は、もちろん、どこかの文例集から引っ張り出したものだ。

社長は、僕から受け取った辞表を机に放り込んだ。サングラスをかけていたので、表情は良く分からなかった。

「そんなにいい女だったか?」
「ええ。でも、わけわかんなかったですよ。あんな綺麗な人がなんで僕なんかに。」
「そりゃ、あれだ。女は、男の仕事に惚れるからな。」
「でも、離婚させちゃったんですよ。」
「それで、救われたんだろうよ。いくらコンピュータが普及したって、人は、いろんな場面で手紙を書かなくちゃいけないんだしな。そんな時、都合良く自分の気持ちを代弁してくれる文例があって欲しいと思うわけだ。」

黙り込む僕に、社長は言った。
「お前、才能あったのにな。」
「やめてくださいよ。」

僕は、立ち上がった。

正直、本当にわけが分からなかったのだ。世の中の人が、こんなに文例を捜し求めていることも。僕の文例のせいで、誰かと誰かが離婚したりすることも。そして、僕が離婚したばかりの年上の美女と抱き合ったりすることも。

「お前、固く考え過ぎなんだよな。大体、その女、本当に離婚したのかどうかも怪しいもんだよ。」
背後で社長が、不貞腐れたようにつぶやく。


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