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セクサロイドは眠らない
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| 2001年10月03日(水) |
そう。それだけが私の楽しみでした。だから、やめられなかったのです。 |
毎日顔を見ていると、それが全く知らない人であっても知らず知らずに相手に親密感を抱いてしまうことはないですか?たとえば、いつも、同じ通勤電車の同じ車両。相手がたまに同じ時間に乗り合わせてこないと、体調が悪いのかな、なんて心配したり。
私の場合、通勤は自家用車ですから、その相手は通勤車両ではなく、同じ時間帯に隣の車線を走るある車に乗った女性でした。その女性の車はとても目立っていたので、私ではなくとも目をひかれたと思います。濃いグリーンのミニクーパー、助手席には毛並みのいいゴールデンリトリバーを乗せていますから。そうして、彼女自信は、背筋をきちんと伸ばし、長い髪を束ねていて、襟元から伸びたその白く長い首がまたなんとも言えず爽やかな印象を与えます。
平凡なサラリーマンで、平凡なセダンに乗った私は、彼女の横顔に恋しました。朝、彼女を見かけると気持ちが明るくなりますし、雨が降って渋滞に巻き込まれてもそれが彼女の車と近い位置だと、これまた幸福な気持ちになります。逆に出掛けに妻があれこれと話し掛けて来て出勤が遅れると、彼女の車と逢えないんじゃないかとイライラするのです。
そう。それだけが私の楽しみでした。だから、やめられなかったのです。
ある日、会社から首を切られても、職を失った事は妻に言えませんでした。いつもと同じように、ネクタイを締め、車に乗り込み、通勤しているふりを続けました。そんなことは問題の先送りだとは分かっていても、一日でも彼女の顔を見られない日があるのが耐えられなくて、私は、同じ時間に家を出るのです。
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もちろん、そんな日は長くは続きません。仕事を失った事はすぐ妻にバレました。
「どういう事ですの?」 「すまん。」 「なぜ、ちゃんと言ってくださらなかったの?仕事に行くふりまでして。」 「きみをがっかりさせたくなかったから、次の仕事が見つかるまで黙っていようと思った。」 「なんて独り善がりなことが言えるの?私がお友達から、ご主人大変でしたね、って言われてどんな気持ちがしたと思う?」 「だから、すまん。」
私は、朝、通勤するふりをする習慣を止めざるをえませんでした。夜遅くまで妻と話し合い、翌日は昼近くまで寝る。妻がパートに出掛けるのを見計らって酒を飲む。こんなことを繰り返せば、結果は見えています。
幸いにも子供がいなければ、家のローンを抱えているわけでもない私達は、あっさりと離婚届に印を押すことができました。
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妻が出て行くと、私には、またネクタイを締め彼女に逢いに行く生活が戻って来ました。久しぶりに、いつもの通勤道を通った日、彼女は私を見つけると、何かホッとしたような表情を浮かべて軽く会釈をして来ました。
ああ。覚えてくれているんだ。
私の心は幸福な気持ちでいっぱいになり、その日は眠れないぐらいに興奮しました。それから、毎日、顔が合うと、お互い軽く頭を下げたり、小さく手を振って合図をしたりするようになりました。
仕事を探す時も、同じ通勤経路を通ることができる仕事を、と思うのですが、40歳を目前にした私はなかなか、これという仕事に就く事ができません。前の職場で出た退職金は、さして大きな額でもない上に、妻に半分渡してしまったので、どんどん目減りして行きます。
次第に酒量が増して行きました。朝、彼女に逢う日課以外は、家にこもって酒を飲む日々です。一日中アルコールが抜けなくなって来ました。
このままじゃいけない。
このままじゃいけない。
ただ、彼女に逢うだけの日々。それも、名前すら知らない。
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朝、私は、相当飲んだ後で、足元もおぼつかない状況で車にふらふらと乗り込みました。ひどい顔をしていて、髭もそっていない私の顔を見て、彼女は小首をかしげて心配そうな顔をして見せました。私は、大丈夫だよ、と笑顔を作ってみせ、彼女に手を振りました。
それから、どうなったのでしょう。何もかもが、ゆっくりと起こりました。彼女の車がすぐ近くに迫っていました。私は、咄嗟に、彼女の車にぶつからないように、手が大きくハンドルを切ったのを覚えています。ゴールデンリトリバーの黒い目がじっと私を見ていました。激しい衝撃を感じ、私は、車体に強く抑えこまれて動けなくなりました。手も足も濡れていたので、多分血が流れているのでしょう。彼女の車が、私の車の少し前方に止めてあるのが見えました。彼女は?彼女はどこにいる?彼女は、私の顔を覗き込んでいました。それから、携帯電話を取りだし、どこかに電話していました。警察か消防署でしょう。
それから、彼女はゆっくりと自分の車に戻って行きました。
どことなく、いつも通勤中に見かける彼女とは別人のようでした。よく見ると、彼女の片足は義足でした。
彼女は不恰好に足を引きずり、遠ざかって行きました。
私は車の窓から見える彼女しか知らなかった。
そんなことを思いながら、意識が薄れて行く間、彼女の後姿を見ていました。
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