cahier@enpitu
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2006年03月21日(火) 苦しくはないはず、生きるだけなら

朝起きた時点で今日はまた手がピンチだという感じがしていた。昨日使っていたコンピューターのキーボードが固かったから、いつもより手が疲れていたみたい。今日も相変わらず朝起きたくない。もうすぐこの仕事も終わりだと思うと緊張感もなくなってきているようで、そういうことが身体にも精神的にも影響を与えているのだろう。
職場の空気はのんびりしたもので、今日も事務所のテレビで WBC 決勝の中継を流しつつ。テレビの前にときどきひとが集まり、マネージャーの応援する声が聞こえたり。
金曜日に顔合わせに行った会社からのお返事はまだのようで、派遣会社から電話が来ない。ダメだったらどうしようかな、別の派遣会社にも行ってみようか。やりたいことがはっきりしない現状では無駄に動いても疲れるだけじゃないかとも思うけれど。
自分があまり女性らしくないな、ということは以前からわかってはいたけれどこのところたびたび思う。そのあたりはまた今度ゆっくり考えて書いてみるつもり。



 引用。


ああ。そう、「ちょっと天然ボケ入った明朗快活で元気でやる気のある真面目な女の子」を知っていたら、決して彼女をその通りに捉えないでください。その子はとてももろくて、ちょっとなでただけでも壊れてしまうでしょうから。とても聡明で、透明な子でしょうから。彼女にとって生きるというのは目的でもなんでもなくて、ただ、ただ、そうであるところの何かでしかないので、ちょっと傷がついただけで、簡単におっこちてしまうのです。
(buchez notiz:2006年3月13日(月))

自分にもこういうところがある、と思った或いは思いたいというのはおこがましいだろうか。ちなみにこれは二階堂奥歯「八本脚の蝶」を読んだ感想の後に続く文章より。


諒 |MAIL