それでも笑って生きていく



 記念日鬱

「記念日鬱」という現象が本当にあるのなら
今の私はきっとそんな状態。

あの日から、少しは成長しただろうか?
前を向いている様で
本当はいつも、後ろを振り返りながら
生きてた様な気もする。

「そろそろ開放してあげたら・・・」
と、言ってくれた人がいました。
私の中では開放したつもりなのですが
まだ、他人の目からはそう見えないのかもしれません。
先を越されてしまった悔しさと、羨ましさと、憎しみと
そうさせてしまった事の一端は
私にもあるのかもしれないという罪悪感。
これらの感情をどう整理すれば良いのでしょうか?

時間がたって、だいぶ、風化したはずなのに
今でも心にひっかかっるのは
自分で自分を縛り付けているからでしょうか??

きっと私は、あの日のあの時間を忘れることはないと思う。
忘れる事が開放なら
一生、開放される日は来ないかもしれない。
薄まっていく罪悪感が完全に消える日はくるのでしょうか・・・。

先を越された悔しさは今はあまり残っていません。
生きてることを実感できる日は殆どないけど
そんな事を考える必要もないくらい
健康な体を持っている事を思えば
そんなものを求めようとする事自体、
贅沢な事なのかもしれないと思うようになりました。

私はまだ、とらわれているのでしょうか??




2003年08月08日(金)
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