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2026年02月02日(月) 空手との出会い

今までの空手人生を振り返って思い出を書いてみようと思うのですが、空手歴37年にもなると、何から思い出せば良いのか?何から書き出せば良いのか?とても迷います。そんな時は思ったままに書き出せば良いと言う言葉通りに、思ったままに書き出そうと思います。私の最初の空手の先生は魏桜流拳法菊地塾塾長菊地信弘先生です。菊地先生は硬式空手の世界チャンピオンでシュートボクシングのシーザー武志会長と異種格闘技戦をしたり、様々な流派の試合に出場して素晴らしい成績を収めていました。菊地先生との出会いは私が15歳で高校を退学になり、馬鹿な事ばかりしている頃に、それを見かねた私の知り合いに「お前は何かやりたい事はないのか?」そう聞かれ、私は「TVで極真空手の世界大会を見たんだけど、それをやって見たい!」と答えました。その方に「極真空手ではないけど、空手のチャンピオンを知っているから、見学に行ってみるか?」と言われたので、私は「見学に行けば、その人と戦えるの?」と言いました。その方が菊地先生に電話で連絡すると、是非道場に来て下さいと言われました。そしてその方と菊地塾に行きました。当時は福島市の青果市場の近くにあり、プレパプの道場でした。私達が道場に入ると門下生の方がもう練習していて、菊地先生はまだ道場にいませんでした。菊地先生が来るまで見学していて下さいと師範代の方に言われ、私達は練習を見ていました。私の記憶では、キックボクシングのようなシャドーをしていました。少しすると菊地先生が道場に入って来て「君か?じゃあさっそくやるか?」と言われ、私はヘッドギアとグローブをしてもらい、スパーリングなのか喧嘩なのか分からない感じですが、スパーリングが始まりました。まるで今流行りのYouTubeの道場破りのような感じです。私が殴りかかると、菊地先生のハイキック一発で私は失神させられました。納得がいかない私はその後、何度も立ち上がって菊地先生にかかって行きましたが、パンチでまた失神させられ、最後はローキックを何度も蹴られて、私は立ち上がれなくなりました。「まだやるか?」と聞かれたので、私が「もう立てない」と少し生意気な感じで言うと「負けたんだから、参りましたと言え」と言われ、私も観念して「参りました」と言いました。続けざまに「悔しいか?強くなりたいか?俺に勝ちたいか?」と言われました。私が「強くなりたい」と言うと「じゃあ空手を教えてやるから、俺に勝てるようになるまで頑張れ」と言われました。そして鏡の前に連れて行かれ正拳突きを俺が止めて言いと言うまでやっておけと言われ、正拳突きを教えてもらいました。鏡を見ると自分の顔が見た事もないほどボコボコになっていました。顔は目と鼻と口が腫れていました。頭痛が1週間は治りませんでした。おそらくこの時に眼底骨折していたと思います。何十年後に検査したら、以前眼底骨折していると言われたのですが、症状からすると思い当たるのはこの時だと思います。話は戻りますが鏡を見ながら正拳突きをしている時に自分のボコボコの顔を見て悔しくて涙が出ました。でもこれをやればもっともっと強くなれるんだ、菊地先生が自分を蹴りやパンチで一発で失神させたように自分もなれるんだと嬉しい気持ちになりました。あれが私の空手道の第一歩でした。家に帰宅すると、私の家に遊びに来ていた祖父母が驚いていました。父には「どうだった?」と聞かれたので、「スパーリングして負けた。強かった。」と答えました。母には「そんなのやらないほうが良いんじゃないの」と言われましたが、私は空手をやらせてくださいと言いました。母も私が退学になったあと馬鹿な事ばかりしていたので、空手をやれば少しは良くなるかもと言う事で、私が空手をやる事を承諾してくれました。あの時の菊地先生は私にとっては鬼のように強かったですし、その後は鬼のように怖い存在になりました。私が問題を起こすたびに菊地先生に道場に呼び出され、スパーリングでボコボコにされました。あの時、菊地先生と出会っていなければ私はもっと馬鹿な事をしていたと思いますし、あの時、菊地先生に出会っていなければ、今の自分はないと思っています。菊地先生には心から感謝しています。今でも菊地先生の事は尊敬しています。菊地先生のもとを離れた今も、心のなかでは先生と思っています。


kanno

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