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大山倍達総裁が「これが出来なかったら、明日ご飯が食べる事が出来ないと思ってやれば、出来ない事なんかない!」と言っていましたが、言葉では分かっていても、恵まれていた私には感覚としてその本質を理解する事は出来ませんでした。考えて見ると私の父はその感覚で生きて来た人だと思います。ある時に私が父に「何故、若い頃に野球や格闘技など自分の才能のあると思う事に挑戦してみなかったの?」と聞いたら、父は「毎日どうやって食べて行くかで精一杯だったから、金にならない事をやっている暇なんてなかったよ。」と言っていました。父は毎日必死に頑張って仕事していた人なんだと思います。私が自分で甘いなと思うのは、やはり私は両親に何不自由なく育ててもらって自分の好きな事をして生きて行く事が出来たと言う事なのかもしれません。私は空手の稽古やトレーニングであらゆる苦しい稽古をして来ましたが、本当に苦しい事に耐えて来たのは、父なんだと思います。第二次世界大戦後から高度成長期を作って来た人達の凄みをこの歳になって、その感覚を本質として理解出来るように少しだけなりました。
kanno
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