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2020年07月02日(木) いっぱしの男とは

私が32歳の頃「いっぱしの男とは自分以外の人間の責任を取れる男だ」と松井館長に言われました。「自分の為にやっている事や自分の為に責任を取る事は、大人として社会人として当たり前のことで、自分の妻や子供に対して、自分がやらなければならない責任と義務を果たし、妻や子供の責任を取ってあげれるようなってこそ、いっぱしの男なんだよ」と言われました。その意味が妻を福島から連れて来る時と子供達が生まれて抱いた瞬間に実感として分かりました。私が妻を福島駅に迎えに行き、2人で東京行きの新幹線に乗った時に、私の両親と妻のお父さんとお母さんと妻がそれまで勤めていた仕事の上司が見送ってくれました。新幹線が発車する時に妻のお母さんはとても寂しそうな顔をしていました。その妻のお母さんの顔を見た時に「もしこの人を幸せに出来なかったら俺は男じゃないな」と思い、妻を幸せにする事が私の責任であり義務であると思いました。そして妻がやった事は俺が全部責任を取ってあげようと思いました。なので私は妻がやりたい事は最大限やらせてあげなくてはならない責任と義務があると思います。妻がやりたい事を全てやらせてあげる事は出来ないかもしれませんが、最低でも妻が幸せだと感じるぐらいの事はさせてあげなくてはと思います。なので私は妻にどんな事があろうとも離婚するつもりはありません。そして私が先に死ぬ時に私と結婚して幸せだったと妻に言わせなくてはならない責任と義務が私にはあると思っています。


kanno

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