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2019年02月08日(金) 極真

昨日、稽古が終わり家に帰ると私の現役時代の全日本大会のDVDがテレビに映っていました。長男と次男が見ていたようです。こんな事は初めてだったので少し驚きました。長男と次男も全日本の舞台で試合をしたいと言っていました。「出たいなら大人になるまで空手を続けて頑張ったら」と私は言いました。私もここ最近、自分の現役時代の試合の映像を見るようになりました。その頃の試合の映像を見ていて、仲間達の応援の声も入っていて、こんなに人から応援して頂いていた事を改めて感じました。本当に感謝感謝です。ここからは自我自賛になりますが、チャンピオン級の選手と試合をし延長戦、再延長戦ときわどい判定が続いても私は真っ直ぐ前を見て姿勢を正し判定を受けていました。旗を見たり、勝っても負けても判定に表情を崩す事は一切ありませんでした。決勝戦の最後の延長戦のラスト5秒で上段回し蹴りで相手をノックアウトして一本勝ちをしたり、劇的な大番狂わせでチャンピオン級の選手に勝利した時も真っ直ぐ前を向いて大歓声の試合場で佇むようにして立っていました。自分の姿に極真を感じました。これは私の師匠の教えでした。判定は勝ったと思っても負けたと思っても引き分けだと思って延長戦の準備をしろ、そして判定の旗を見るな、勝っても負けても同じ顔でしっかり挨拶をして試合場を降りなさい。そして城南支部の先輩はほとんどの先輩がそれを実践していました。特に数見先輩が凄かったです。第6回世界大会でグラウベ・フェイトーザから劇的な一本勝ちをした時も、フランシスコ・フィリョに勝利した時も表情を崩す事はありませんでした。私はその姿を見て感動して涙を流しました。たぶん私もその姿に感動していつか自分にそんな事が起こった時にはそうありたいと思って稽古に励んだのだろうと思います。その後の事ですが数見先輩は第7回世界大会の決勝戦でフランシスコ・フィリョに敗れ、日本の王座が初めて海外に奪われた時でも試合場や表彰式でも毅然とした姿で姿勢を正し佇むように立っていました。私はその先輩の姿を見て本当に尊敬をしました。私の道場からもそんな選手を育てたいです。今、格闘技界には極真空手で育った子がたくさん活躍していますが、残念ながら極真を感じる選手はいません。それどころか極真空手をやっていた事を忘れてしまったのか?もしくはもう自分の中では極真空手をやっていた事は無かった事になっているのか?と言う選手ばかりです。おそらく極真空手の道場は下地作りの場だと、道場は組手をする場だと考えて稽古をし、極真空手の本当に大切な事は何も学ばずに辞めてしまったのだと思います。いつの世も人の心は変わりません。人の心を本当に感動させるのは勝利だけではありません。ある意味で言えば人間としての本当の真価を問われるのは自分の許容範囲以上の勝利や敗北をどんな姿勢で受け入れるか?です。私は自分の最後の戦いは死だと思っています。自分の真価が問われるのもその時だと思います。この世で最大に嫌な事を最後に受け入れる時にも毅然としている人間でありたいと思い日々修行しています。この世から居なくなる瞬間まで極真でありたいと思います。


kanno

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