DiaryINDEX過去の日記未来の日記
2017年02月15日(水) 3年間の新聞配達

私は中学生の3年間新聞配達をしていました。なかなか大変でした。朝は4時起きでした。田舎の人達の朝は早いので6時ぐらいには配達を終わらせなくてはいけませんでした。だいたい200軒ぐらいの家に配達していました。200軒と言えば楽そうに思いますが田舎にはマンションなどはないので、ほぼ一軒一軒に配って行きます。この一軒一軒の距離も田舎なので長いのです。隣の家まで500メートルぐらいあったり、たった一軒に配るだけなのに400メートルぐらいの坂を登って行ったりなんて感じでした。なので配達するのに2時間近くかかりました。あとは家を覚えるのがなかなか大変でした。しかも、毎月あの家は新聞をやめたから配達を止めて、あの家に今月から新聞を入れてなどの変化もあります。それと新聞配達にはほとんど休みがありません。土曜も日曜もなく、365日ほぼ毎日配達しなければいけません。それとその区域は自分以外には家を覚えている人はいなかったので休んだら、会社にもお客様にも多大な迷惑をかけてしまいます。でもその責任感があったから3年間休まず頑張れたと思います。1度すごく大変な思いをしました。前日から熱を出し胃腸の弱い私は吐気が止まらりませんでした。その時も新聞配達は休みませんでした。というか母に休ませてもらえませんでした。どうしたかと言うと、母が車を運転し父が助手席に乗り新聞を配達し、私は後部座席で家を母に教えました。私は後部座席でバケツを持ちずっと嘔吐していました。でも父も母も大変だったと思います。普通の親なら、親が会社に電話して休ませるだろうと思います。新聞屋の店長にも「そこまでしなくても大丈夫だから」と言われました。でもこの出来事で私は沢山の事を学びましたし、この出来事が一生の教訓、一生の思い出になりました。今でもたまにこの時のことを両親と話します。


kanno

My追加