大股歩き(Giant Steps)でいこう(R.I.P. Joe Zawinul) - 2007年09月13日(木) 1995年、私は彼の演奏をかぶりつきで観た。 ハリウッドにある、カタリナという店で。 楽屋までもぐりこんで、 本人や奥さんとも少し話ができたのが印象に残っている。 彼が亡くなった、というニュースを ネット上で知ることになるとは、驚きだ。 と同時に、12年前のライブに一緒に行った、 私の大切なある人を思い出した。 音楽で駆け抜けた青春時代に色濃く残る、 緻密なジョー・ザビヌルのサウンドが、 脳裏を駆け巡って離れない。 ジョーを引き金にして、 私は当時のひたむきさを思い、 回り道した人生の意味を問う。 友人に、 「私の人生って、右往左往して迷いながらさまよって、 なかなかゴールに行き着かないようだ」 なんてうっかり愚痴をこぼしたら、 すごいいい事言ってくれた: 「回り道したことは、これから全部役にたちます。」 「人の痛みやこころがわかるので、これから、 周りに人がやってくるようになりますよ」 電話を片手に、私は思わず涙した。 ある意味、一直線に駆け抜けている、共に学んだ 現役プロミュージシャンの仲間から、 脱落したような、挫折感を味わっていた私は、 このどうしようもないふぬけのような思いが 将来の役に立つのだという物の見方を教わり、 一人、夜道に嗚咽した。 一直線は、素晴らしい。 狂ったように打ち込めること、 それ自体に情熱の花がある。 しかし、私のような回りくどい生き方に、 意味や価値があるのなら、私はその意義を 愛するすべての人に捧げたい。 生き方が変わる瞬間が、 人生にはいくつかある。 こぶのようになった人生の節目を、 今大股歩き(Giant Steps)で 闊歩しているような気持ちがした。 -
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