たったひとつか、ふたつ - 2005年07月13日(水) たったひとつか、ふたつ、 せめて片手で楽に数えられるくらい。 そんな些細な数の単語の意味を取り違えるだけで 温かく育つはずだった関係が、砕け散る瞬間がある。 放った言葉が、届いた先で思いがけない複製を得る。 それは、それは、苛立ちを覚えるもの。 コミュニケーションにはいくつかの、確固たる要素があり、 そこに不同意という眉間にしわを寄せるような出来事が いつのまにか挟み込まれることってある。 その苛立ちを、何事もなかったように握りつぶして 見なかったこと、聞かなかったこと、 感じなかったことにすると、 とたんに話が通じなくなる。 そしてたとえば相手が待ち合わせに遅刻をした時、 ・自分だって、遅刻することあるし・・ ・私は今日は教えを請う立場だし文句いえないわ ・その人のなりの「事情」があったに違いない ・彼/彼女の方が年上だし・・・判断も正しいに違いない・・ そんなちょっとした、でもちゃんとした(!)理由が、 むかついた気持ちを押し殺す正当化になる。 でも、本当はそんなのやっちゃだめなんだ。 思ったことを率直に言えない瞬間が重なると、 知らず知らずのうちそれは毒薬になる。 それが致死量に達する頃、 ふたりの間には「悪いウワサ」を双方に、 笑顔で吹き込む輩を引き込んでいる。 そして「戦争」が起こるんだ。 近頃、それを体験し、そして見事に過ぎ去った。 悲しさやくやしさやみじめったらしさを超えて、 いつ、どの瞬間に本当は頭にきていたかを 洗いざらい話す機会を得たことで。 単に、楽にそこにいて、 聞こえてくる音を、風を、感じる。 まなざしをその人へ向けたとき、 顔には憤り、怒り、敵対心、そして退屈した表情が浮かんで消えた。 これは本当に魔法のように、 誤解による憎しみを洗い流すことになり、 漸進的な友情の回復が得られている。 -
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