詩的エッセイ、つづっています。...笑 満ちる

 

 

新たな「盲目」の対象をもつのではなく - 2004年05月17日(月)

すぐに影響されるし、
すぐに影響を与えたがりなので、
私はすぐに、何かにぞっこんになります。
でも、
それがしばらくたつと、ひずみを生むことがあって。

ちょっと油断して責任をとりそびれると、
うまくいかないことを、
あの人が言ったとおりにやったのに、
この人が言うことは矛盾しているからよ!

そういううまい言い訳をいっぱいこしらえる、
そうしてさらに自分の首をしめてしまう。

本でも同じ。

同じ著者の作品にしても、
その時々で一貫性がないように思えたりすることもある。
それを、「じゃぁ、どうすりゃいいのよ?」と、
憤ってる、そんな自分におちぶれることがよくあったなぁ、と思う。

本当に正しい、というのは、
自分自身をとりまく宇宙、
それには恋人やら仕事やら、
身にまとう布やら、肉体やら、
人との理解の度合いやつきあい方、
そうしたすべてを見渡して、
ひとたび自分が決めたことを
変える必要がある、ってこともあると思いました。
それを、かたくなに、がんこに守りつづけることで、
苦しみや不幸が生み出されることもある。

場合によっては、
これまでしてきたことやもっているものなどを
破壊する必要があることもあると思います。

その、バランス、というものを
絶対的な、盲目的な正しさが邪魔をするのです。

芸術の分野では、それが顕著です。
自分のコーチや先生が言うことを、
一字一句、聞き漏らすまい、と耳を傾け、
なんでも吸収しよう、と決めた私は、
先生が、
「僕は楽器の練習に夢中で、湾岸戦争が起こったことすら知らなかった」
と言うのをきいて、
「ニュースをテレビでみてる時間があるようでは、まだ甘い」
と思ったし、
「音楽は学校で学ぶようなものじゃないよ」
「私は音楽理論なんて知らない」
そう、経験豊富にベテランミュージシャンに語られると、
そうなんだ、音楽のしくみは、勉強してしまうと、
感性が失われるのか、そうか、もう何かを覚えるのはやーめた!
そんな極端なことを、マジで思ってたし、
そうして、自分のカリスマを得ては、
彼らのようになろう、なろうと思っていたと思います。

ダンスや歌でも、先生によって、こだわるポイントが違うし、
基礎も違うから、自分がこれだ!と思っていることを、
否定されることもしばしば。
そんなんじゃうまくなれないよ、
とか、
違う、違う、とか。

しまいには、人にとやかく言われたくないよ、
と、人に何かを教わる、ということ自体が
とてつもなくいやな感情を伴うものになってしまう。

そんな、ばからしい悪循環に、金輪際おさらばしよう、
そう思う今日このごろ。

過去の決定を変えてはいけない、という考えにとらわれず、
左右されず、新しい時間の中で自分で選び取って、
自分で決めていくことが必要だとおもいました。

何か不同意をもつとき、
何かを捨てるとき、
より強力な「盲目の対象」を持つのではなく、
より自分でいたいと思っています。

その方が、きっとしあわせ。


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