私、になる。 - 2002年07月28日(日) Aという理論とBという話、一見矛盾する。 でも、その背景にある言葉の「ねらい」、 そして「目的」に目を向ければ、 悪意に満ちた敵対を引き起こすことなく、 その矛盾は溶け出してしまうよ。 Aは自分のとこのが一番正しいというし、 Bはやっぱり自分達しかこの地球を救えないという。 私にとっては、AもBもどちらも真実。 それを家族にわかってもらおうと、 どう取り繕うかばかりを考えていたら 具合が悪くなってしまう。 そう、子供のころから知っていたよね、 なにか言い訳考えてるといつだって、 なんだか縮こまったへんてこな気分になるんだ。 父がこう言ったらどう言おうか、 母がこう言ってきたらなんと答えたらいいものか?? 95年に私がアメリカに渡る時、 心に決めたことをすっかり忘れかけていたよ。 無駄に命をすり減らす、「議論」でもない。「敵対」でもない。 単なる立場としての、呼び名としての、 父、でもない。母、でもない。子、でもない。 家族のひとりひとりを、「一人の人間として」安全で、 幸せいっぱいになっていく姿を胸に描き、 それにまっすぐ向かっていく。 現実に「直面」するとはそういうことだ、と気がついた。 一体、一個人の生涯として、どうなのか?ということ。 そこに焦点を当てて、必死で祈った365日だった。 そうしたら、奇跡が起こったじゃないか! 今ここに、目指す理想の家族像が描けた。 人を助けることが一家の最大の関心事。 最高にブームしている家族になる。 そして、もっと大きな空間で暮らす。 それこそが私が念願する家庭だ、って気付いた。 肩の力がすうっと抜けて、とっても楽になったんだ。 これで、直面できる。 もう大丈夫だ! 「私」がみんなを幸せにするよ。 -
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