踊る女は美しい・・・/何に命を使うのか - 2001年10月12日(金) 「女って、もともとエロスを内包して生まれてくる生き物じゃない?」 「そう、命ということですね、 (踊るときに身に付けた)鈴や声といったものも、その音で生命を讃えているんです--------。」 (中略) 私も踊った。踊っているうちに疲れが消え、新しいエネルギーがよみがえってきた。 まわりを見渡すと、いつも仕事をしている姿しか見たことがない人たちが踊っていた。踊らないではいられない、といった顔つきで楽しんでいた。その姿もまた、ミッシェルのダンスに負けずおとらずエロティックだった。 ミッシェルって、アマノウズメノミコトみたい・・・・。生きる喜びを呼び起こすために、かつて人々は踊ったのだ。鈴を携え、声を上げて、足を踏み鳴らし、宇宙を掴み取ろうと腕を伸ばしながら。 古代人の踊る魂は、国境も人種もなかったに違いない。大地のエネルギーを汲み上げ、点へと投げ返す。事前と交信できる存在であった太古の女。できることなら私もそこに戻りたい。貧弱な、浮遊する、寄る辺のない現代人の性ではなく、大地に根差した女性性に。(中略) ときとしてしこってしまう、冷えてしまう女の部分を解き放ち、情熱的に踊れたら------。 踊る女は、みな、輝かしく美しいに違いない。 光野桃著 スランプサーフィン より引用 ・・・ 夢中になって踊るとき、疲れがふわりと消えてなくなり、エナジーフローを感じる。 それは、生物として、生命として、正しい反応だったんだ、と知る。 ・・・生命を讃えるうたを、歌いたい。 そこに命を、使いたい。 「締め切り」、と題する詩を友人からきいた。 こんな内容だったかな、 学校、仕事と、いろんな形の締め切りに追われる。 何かをいついつまでに、と、仕上げる時間。 私たちは、誰もが締め切りを持っている。 紫式部ももっていた。 命、という締め切りを。 限りあるこの命を、何のために使っていくのか。 そこに、人間としての価値があり、最大の「仕事」があるように思う。 何かが見えなくなったとき、この「何のため」という原点に戻る、素直さが持てたなら、人生に行き止まりはないだろう。 -
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