「静かな大地」を遠く離れて
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2004年10月17日(日) 約束の旅

街路に金木犀の香が充ちている。殊に夜の住宅街を歩いていると、一本の木から漂う
香りが薄れるや、また別の木が顕れて…といっても目には視えず嗅覚で感知するわけ
だが、香りのとどく範囲がまるで島のように連なっていく。その群島を渡り歩きつつ
家路をたどる。間違いなく酷暑の夏は過ぎ去ったのだ、と愉悦が沸き上がってくる。
初夏の北海道で感じて以来遠ざかっていた「肌寒さ」という贅沢を身体が思い出す。

きっかけは京都だった。6月に立命館大学で御大の講演とシンポジウムを聴講した。
学食に入ったりしつつ、キャンパスライフ気分を懐かしんだりしたのも楽しかった。
「宇宙の中心に立つ知里幸恵と宮澤賢治の姿勢」という大仰な演題はご愛敬として、
西成彦『森のゲリラ宮澤賢治』(岩波書店)と中沢新一の「カイエ・ソバージュ」
シリーズ(講談社選書メチエ)をサブテキストにしながら、今日のコモンセンスと
問題意識に引きつけて、宮澤賢治と知里幸恵の両者を結びつけようとする話だった。

冷涼な気候。精神地理学的な北方志向とかではなく、まさしく北の空気そのものを
僕は愛してきたのではなかったか。そう思うと、もうイケナイ。盛岡にも函館にも
しばらくご無沙汰しているし、今回は札幌をあきらめて、まずは白老に入り、登別、
室蘭、函館と来て列車で東北へ、そういう小旅行の青写真が俄に立ち上がってきた。
本州と北海道の間を列車で移動する、ずいぶん前から果たせずにいた「約束の旅」。

旅の顛末はひとまず措く。どこも懐かしい場所ばかりだが、北海道から東北へ渡る
というコースの設定が新鮮で良かった。前半は好天だったが、盛岡に来たところで
前線に遭遇して雨に降られる。小岩井牧場にでも行って広い空の下を大いに歩こう
という案も択りがたい。途方に暮れていたとき、田沢湖の傍で「わらび座」という
劇団が『銀河鉄道の夜』のミュージカルを上演している、という情報に引っかかる。

かつてその名前と、東北で自給自足のような形態で演劇をやっている集団があると
いう話だけをおぼろげに聞いたことがあった「わらび座」と、このような出会い方
が出来たことに、まさしく“天の配剤”を感じる。田沢湖の近くの劇場へは、盛岡
から列車で秋田への県境を越えて行った。山を浸すような雨の中を、運ばれてゆく。
角館の駅に降りて、学生時代に一度訪れたことのある武家屋敷の町並みを散歩した。

市川森一が戯曲化した『銀河鉄道の夜』は、劇的なわかりやすさのお手本のような
思い切りがいっそ好ましくて、観劇中から琴線に触れまくり。テーマ曲が頭に残り、
帰りにはオリジナルCDまで買う始末。さすがは市川森一、間違いない仕事ぶりだ。
大河ドラマ『黄金の日日』DVD完全版を観ている最中なので、市川氏の力量には
感心させられ通しなのだ。雨の日の予定外の過ごし方としては最良の選択となった。

■「銀河鉄道の夜のテーマ」(わらび座ミュージカル「銀河鉄道の夜」より)
♪銀河にまたたく 星々をたずねて 終わりなき道を 旅して行こうよ
 地図のない旅 迷い道ばかりさ 心にまたたく 夢が道しるべ
 激しい炎や 逆巻く波を越え みんなのさいわい 求め さあ 行こう
 銀河の果てまでも 心はともに行くよ ほんとの幸せを
 探す限り 目指す限り この命も いつか遙かなる空へ

ものを考えるという姿勢からずいぶんと遠ざかっている明け暮れの中で、ここ最近
頼りにしていた連載エッセイが、梨木香歩「ぐるりのこと」(『考える人』新潮社)
だった。そろそろかと予感はしていたが、最新号で最終回。脱力感さえ覚えるほど、
この2年半というもの、3ヶ月に一度の掲載を切実に待っていた。梨木香歩さんは
創作では既に数多の支持者を持つ遣い手だが、エッセイがまた“間違いない”のだ。

書店で『考える人』を手にとって「ぐるりのこと」の頁を開くや、まず“最終回”
の文字が目に飛び込む。…やはり!、と落胆で胸が痛くなると同時に今回の主題は
何だろう、と目を滑らす。「物語を」という骨太な副題が掲げられている。本文に
目を走らせ息を呑む。彼女が最近、角館を訪れたことから説き起こし、宮澤賢治の
詩を引き、金田一京助とアイヌの老婆の挿話から世界の物語化へと話を導いている。

あまりのシンクロぶりに絶句しながら、もどかしくも性急に今回の論旨を探した。

■梨木香歩「ぐるりのこと10」最終回(『考える人 2004秋号』新潮社)より
 近代化され、西洋化された現代の日本で、アイデンティティという言葉が使わ
 れるようになって久しいけれど、幾重にも取り囲む多様な世界、多様な価値観、
 それぞれとの間断なき相互作用、その中心にある同じく多様で動的な「自己」
 に、明確なアイデンティティを自覚するのは、生半可なことではないのだ、
 本当は。ましてやその「自己」が自身を取り囲む多層の世界を語り出す、など
 ということは。その中に棲まう、地霊言霊の力とおぼしきものを総動員して、
 一筋の明晰性を辿りゆくこと、それが「物語化」するということなのだろう。

“物語という主戦場”へ還ってゆく彼女が、また「ぐるりのこと」のような形で
リアルタイムの思考の軌跡を読者に提供してくれるとは限らない。世界にとって
“難儀”な2年半であったことも、こうした連載を続けていた彼女の動機付けに
与っていたのだろうかと想像する。中沢新一が「カイエ・ソバージュ」を刊行し、
松岡正剛が「千夜千冊」を完走し、御大の一連のジャーナルな活動があった時期。

土地への恋愛感情と、一片の「小説家としての野心」を携えて御大がオキナワに
移住されてからずいぶん時間が経った。今夏フランスへ移られたとのこと。その
“収支決算”は他人がするべきことでもない。少なくとも積年の宿題であったに
違いない『静かな大地』は本の形になった。良くも悪くもオキナワの地政学的な
力が何らかの作用をして、あの北海道の物語は産み出されたのだろうと想像する。

最近の御大自身の発言を拾ってみた。どうやらキーワードは“幸福”のようだ。

■池澤夏樹「全部を見られるはずがない」(『Coyote No.2』)より
 最初に世界があってそれを見尽くすべきものとして自分がいるのではない。
 最初に自分がいて、その自分が旅に出て歩きはじめる先に世界が展開される。
 今はこの主観主義の方が人は幸福になれるような気がしている。

 「パンドラの時代 011」より
 フランスに移ってから、さらに視点を後退させることを考えています。ここでの
 暮らしの中からこの社会の原理のようなものを抽出し、その背後にヨーロッパを
 見て、それと日本のやりかたを比較する。
 フランスの自分の住む町からはじめて思考を広げたいと思っています。
 9.11以来ずっと人間の不幸を語ってきたような気がしますが、本当の目標は
 幸福を語ることです。さしあたってはその阻害因子を探ることになるとしても。

以前に「静かな大地を遠く離れて」で引用したテオ・アンゲロプロスとの対話でも
『静かな大地』の改稿をめぐって「遠い幸福」について興奮気味に話していたのを
思い出す。ついでに僕が「まだまだこれじゃ幸福が足りん」とイチャモンをつけて、
“幸福度”をパワーアップした『贋作・静かな大地』を書こうとしたことも(笑)
案外と真面目に、あの小説の生命に関わる部分だという想いが、今も捨てきれない。

重い歴史を背負いつつ、アルチザンとしての技術を錬磨して「表現」の射程距離を
伸ばすことに腐心してきたのであろうアンゲロプロスとの対話で、御大が何を感じ
何をつかんだのか。それが『静かな大地』の書籍版への改稿にどう活かされたのか。
そんなことを考えているうちに、欧州文化と日本、そして人間の幸福ということを
切実に考えた、二人の偉大な先達の名前が浮かんできた。辻邦生、そして須賀敦子。

■辻邦生×須賀敦子「西欧的なるものをめぐって」での辻邦生の発言より
 人間が生きてゆく上で様々な条件や状況があり、本来持っている願いと現実の
 歪みとがぶつかり合った時に絶えず悲劇というものが起きます。ある意味で
 世界史というのはそうした悲劇の連続だと思いますが、でもそういうものを
 通して根源にある人間の生きる形というものが刻み出されるのです。
 (中略)
 現在、私達がたまたま置かれている状況とは、資本主義末期の、こんなにも
 巧みに作られているかと思えるような巧妙な装置みたいなものだと思うんです。
 様々な幻影で人を迷わすように編み目が織られていて、そういう中にすっぽり
 と包みこまれているので、何かをはっきり見たと思った瞬間に、もうそれは
 幻影になっているんです。ですから、社会と、その社会に反するものとを
 絶えず持ち続けることが大事であり、しかもそれに形を与える作品はいつも
 独立したものでなくてはいけない。社会とべったりくっついていても駄目だし、
 精神の中にすっぽりと埋め込まれてしまってもいけない。つまり、私達の外に
 出て、しかも私達の精神をそこに生きたものとして形にしなければいけないの
 ではないかと思います。

野田秀樹の傑作戯曲『キル』を思い出すような深い考察の彼方に「物語」に対する
ブレることない覚悟がはっきりと見える。人間という存在が営々と積み重ねてきた、
幸福への知的アプローチに対する揺るぎない信頼。その末端に連なる個として在る
姿勢。梨木香歩さんが惹かれる“明晰性の在り方”にも似たものを、その文章から
読みとれる、辻邦生さんや須賀敦子さんの“面立ち”に感じないではいられない。

「異国の客」で御大ご自身がフランス移住にまつわる事の次第をわかりやすく説明
することを急いでいないようなのに、こっちで勝手に決めつけてしまうのも何だが、
“遠い幸福の在り処”を過去の北海道の歴史にも、現在の沖縄にも見つけきれない
「楽しい終末」的な世界の中心で、言ってみれば“欧州の原理主義”を再び採掘し、
良きものとして未来に向かって提出すること、それが御大の企図ではないかと思う。

人生のエピキュリアンとして敬愛する御大に倣い“近い幸福”を味わい尽くしつつ、
息の長い思索の成果を待つことにしよう。たとえば佐藤琢磨をみるとかして♪

 


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