「静かな大地」を遠く離れて
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2001年06月27日(水) 「北海道は日本ですか」

題:16話 煙の匂い16
画:御猪口
話:「北海道は日本ですか」(三郎)

さぁ、来た。
幕末生まれの洲本の子供に「北海道」「日本」という妙にスッキリした概念が
あったかどうかは疑わしいところだが、そこは父の語り、そもそも彼ら語りの
中の人物たちは、洲本の人々なのだから関西弁亜種の言葉を喋っていたはず。
言ってみれば映画「ラストエンペラー」で溥儀たちが英語で会話するように、
彼らは後の「標準語」に翻訳されたコトバで喋っている。
イケザワ系「ベーシック・ジャパニーズ」は、妙に翻訳不能な表現を嫌うのだ。
さすが「世界文学」系作家である♪
ゆえにここで概念の用語法に浅薄にこだわるのは、作者の術中にハマることか。
なぁんてもろもろの浅知恵を全部吹き飛ばす、開き直りにも似た言い切り様こそ
御大が最近特に前面に出そうとしているのかもしれない、ぎりぎりの芸風。

「北海道は日本ですか」、そう一行目に書きたかった、ということだ。

「周縁」「外部」としての北海道。その明治以来のイメージ喚起力。
なにゆえ夏目漱石『それから』が、殊更に「100冊」の中に入れてあるのか?
何故いまどきの「和製」冒険小説やミステリー、文学に満州が頻出するのか?
北と南はなぜ、どのように通底しているのか?
さらに、このような「なぜ」を追求することが、我々をどこへ導くのか?
そうした問いを、ここでしつこく、かつエレガントに解いていきたい。

大まかに言うと、日本の国家イメージの「周縁」が近代において植民地の形を
とり、なおかつそれが1945年8月15日を以て断ち切れるように喪われた、
そのことが現在のわれわれと、世界との間の「ミッシング・リンク」なのだ、
と直感している。そしてオキナワを考えるよりも、北海道のほうがその構図が
見て取りやすいのではないか、と思っている。
世界とのリンクを回復することとは、歴史との、外国との、大地との関わり方
の新しい視角を得ることなのではないかと思う。

物事をよく知り、楽しみ、丹念な知的作業を経て、構想力豊かな未来を描くこと。
御大の主戦場は今、さまざまな時空が折り重なった、非現実の北海道の上にある。

※6月28日、一部改稿


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