友人の飼っていた猫が死んだと、知らせが来た。 私が友人と知りあった頃、もう飼っていたかいないかく らいなので、かれこれ十数歳の老猫だ。 なので、てっきり老衰かと思ったらそうではなく、患っ たらまず助からない重病だったとの事。 友人一家は、私が「お猫さま」と言ってしまう程、その 猫を可愛がっていたので、一家の悲しみ様が目に浮かぶ ようだ。 私は友人が実家を出てから、一度も猫に会っていなかっ たけれど、以前は良く睨み合をしていたので、寂しく思 う。
知らせの手紙に、猫は本当に幸せだったのか、と書いて あった。 友人がどういう意味でそう書いたのかは分からない。 自分達の世話は十分だったのだろうか。 自分達に飼われずに他の人、若しくは野良として生きた 方が。 そんな事を思ったのだろうか。 でも、私ははっきりと、猫は幸せだった、と言えると思 う。そう、思わなければならないのだと。 確かに、猫の思う事は分からない。 死んでしまったらのなら、なおさらだ。 それでも、歩む道の一つに「飼い猫」という道をもった 猫が、ある一家に飼われ、惜しみない愛情を注がれ、死 を悲しんでもらい、ひとりにするのは可哀想だと遺骨を 家に安置されて。 それだけの事をしてもらって、それは鬱陶しい事もあっ たかもしれないが、幸せだった、と思うしかないじゃな い。 思ってもらうしか、ないんだよ。 そうじゃないと、いつまでも泣いていそうな気がするか らさ。 できたら、猫に友人一家の枕元にたって、幸せそうに一 鳴きしてもらいたいくらいなのだが。
何にせよ、猫には安らかな眠りが、友人一家には悲しみ を幸福な思い出で癒せる時が、それぞれに与えられる様 願うばかりだ。
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