新世紀余話
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2010年03月03日(水) なぜネット右翼とやりあう「左翼」が少なかったのか?


今の時代、まともな人間は国のためには命を捨てないものだ。
自己のため、あるいは家族や友人など自己と連なるもののため、生きるのを望む。
多くの人はまず、快適でありたいとねがう。

ところが、ネット右翼と「議論」するほど快適ならざることはない。

したがって逆説的な言い方になるが、ネット右翼と同調できない性向の人ほど彼らとの戦いの場には出ていきたがらなかったのである。
実際、よほど信条のある者かブログ主のような物好きをのぞけば、そんなことに時間と労をつぶせるものではなかろう。

ほとんどのネットユーザーは、エンターテイメントやレジャーの話題を求め、ロマンチックでフレンドリーな気分に浸りながら交流の幅をひろげようとする。
政治や歴史のことに関心をしめす人自体、そもそも数が少ないのだ。

ブログ主の仲間でもネット右翼とは一度やり合うだけで閉口したというのがほとんどだ。
普通の相手なら納得するはずの道理と根拠を示してもなお屁理屈を繰りだしてくるような、自己と思想性を異にする者 (実は、日本人のほぼすべて) への確信的な悪意に辟易してしまうのだ。

誰も相手と戦争しているのではない。
ネットを共有する者同士で意見のやり取りをして、交流したいのである。
ところが、ネット右翼の「論敵」に対する態度はそういうものとまるで違う。
議論する相手を侮辱し、怒らせ、傷つけることしか考えていないのだ。
だから、ネット右翼がいかなるものかを知った人がふたたび彼らと鉢合わせしても、もはや取り合おうとはしなくなる。

かかる次第で、まともな人間ほどネット右翼を忌避し、相手にしなかったと言っていい。
したがって、持続的にネット右翼に敵対するような者は現れようがない。
(一文の得にもならんのに、何が悲しくてそんな真似をするだろう)

さらに特筆すべきこと。
2ちゃんは言うにおよばず、ヤフー板、OKweb、知恵袋などネット上で政治や戦争、歴史を論じる場のほとんどが、なぜかバカウヨ思考の担当者にばかり管理されていた。

レフェリー自体がバカウヨにしか味方せず、バカウヨ側の形勢が不利になれば自分もバカウヨになって背後を突いてきて、いよいよのときはトピックごと削除してしまう(実際にあった)。
そんな勝負など、馬鹿馬鹿しくて誰がやるものか。

以上が、ネット右翼に自分らが多数派だと自惚れさせたカラクリにほかならない。

むろんそのことは、社会がネット右翼の主張を歓迎したり、彼ら流の屁理屈に打ち負かされたのを意味しない。
多くの人は、PCから離れた投票の場では、「ネット世論」なるものと逆行する政治的選択をしてみせた。

それがまさに、ネット右翼の身をおいた現実であった。


ば〜か


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