新世紀余話
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一九六十年代末、徒党を組んで行進し、「大人たち」に抗議する「子供たち」は、本物の子供でも見抜けるような、こじつけとしか思えぬ大義名分をがなり立てていた。
要するに、学生活動家のほとんどは、暮らしに窮したのでもなければ、圧政による迫害を被ったのでもなく、ただ腹ごなしのため機動隊を相手にゲバ棒を振りまわしていたのである。 それはまさにブームとなった現象だが、今の時代の「愛国青年」が「自虐史観」を攻撃する構図となんとよく似ていることだろう。
彼らには、それぞれにバイブルを見出せる。 安保闘争の頃の「戦争を知らない子供たち」と前世紀末の「戦争論」。
どちらも、世の中を知らない未熟者が勝手なことばかり書きまくった本にほかならず(だから、おなじような連中から受けた)、その時代の愚かしさが濃縮されたものという点で、双子のようによく似た二冊。
二人の著者は、本以外のことではけっこう社会に得をもたらしたが、本が原動力となって社会を変えるまでにはいたらなかった。 結局、北山修が数曲の美しいメロディーを残したように、小林よしのりは何人かの可愛いキャラクター(あの実物とぜんぜん違う自画像のことじゃないよ)を提供するだけで終わりとなるに違いない。
そして、「ゴーマニスト」らの極端ぶりと関わりなく、時代はバランスを保ちながら流れていき、やがて後続の世代から、若い頃のおこないについて審判を言い渡されることとなる。
「なんで、あんな馬鹿なこと言い張ってたの、お父さん?」
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