今日のおぱんつ

2004年12月11日(土) ディーガ、欲しい

富士の樹海で自らの命を絶っていく人達の中には最後に何かしら自分の言葉を書き残そうとする人が多くいて、それは現世に対する嘆き悲しみや恨みの言葉から、肉親や愛する者への感謝や懺悔の気持ちまで、まぁ様々らしく、その中に「祝」という文字を残していった人がおられたとかで、どうもそれは「呪」の書き間違えだったらしいんだけれども、結局そのまま逝ってしまわれたそうですよ、という話をピーさんの担任のS先生(40代後半の女性)から先日の保護者会で聴きました。

この先生の話はいつもとても興味深く、面白いです。

泣いている所をほとんどかまって貰えずに育った赤ちゃんっていうのは、徐々に泣いても無駄なんだと自分なりに学習しやがてはあまり泣かなくなるけれど、そういう風に育っていった子供というのはある時期までくると今度は、何か悲しい事や辛い事に直面した時に、一旦泣き出すとなかなか自分で泣き止む事ができなくなってしまう場合があるらしい、というお話も。

やっぱり人の一生というのは、どんな人にも喜びやら悲しみやら色んな事が多少の個人差はあってもそれぞれに大体同じくらいの量課せられていて、それらはどれも皆その時々で満たされたり消化されたり克服したりしていくもので、もしそこに無理な力が加わって本来の自然な流れが阻まれたりすると必ず歪が生まれるって事でしょうか。





そうか、私が今妻夫木君!ディーガ!妻夫木君!ディーガ!とか言い続けてしまうのは、昔から千原弟とか獅童とかああいうタイプとばかり付き合っていたせいなのね。

だからなんだきっと。あースッキリ。しない。全然。


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