再び異名たちへ。まるでウィリアム・モリスの壁紙みたいな風景。ジョアン・ジルベルトの「三月の水」がスピーカーからは流れている。 「この釘とあの釘。」 そう、声に出して言ってみる。世界はまるで黒鍵と白鍵だけみたいだ。歯車は過去へ過去へと遡る。見たこともない海辺でコーヒーを。 閑散とした海と低い空。その質感を伝えるよりも何よりも、そこにはちゃんと体温を徴した自分がいる。そんなところ、行ったことなど決してないのだ。そして切り取られた時間に於いてのみ、渇きや飢えを感じることがない。 一つの警鐘として、 「結局のところ、一つの窓から覗いたほうが物事はよく見える。」 とは古い作家の言葉だ。でもこの言葉では少しピントを外している。つまり何よりも言いたいのは、僕の感じるもの。それは可能性なんて生易しいものではないということ、そしてそれが現にあるということだった。可能性なんて常に結局見えないのだから。 見えるものは全て常にあるものだった。だから我々は実に沢山の時間の中を生きている。
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