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2004年04月10日(土) 「人命は地球より重い」発言の軽さ −検証「ダッカ事件」−

イラクの日本人拘束事件で、27年前の「ダッカ事件」の時の福田赳夫首相のこの言葉
が改めてクローズアップされている。
人質の家族が与野党幹部と面会した際も、この福田発言を引用して、犯行グループの
要求に応じる事を求めた。
しかし「ダッカ事件」と今回の事件では、状況も性質もまるで違う。
違うものを似ているところだけ引き合いに出して類比させるのは、
コーヒーカップもドーナツも同じだというがごとき詭弁に近いのである。
そこで「ダッカ事件」について振り返ってみたい。

「ダッカ事件」とは1977年9月、日本赤軍が日航機をハイジャックしてバングラデシュの
ダッカ国際空港に強行着陸、600万ドルの身代金と仲間の服役囚の釈放を要求し、
時の福田内閣が「超法規的措置」としてこの要求に応じて、事件を解決したというものである。
そしてテロリストに屈した時の福田首相の言い訳がこの「人命は地球より重い」とい
う発言だったのである。
「昭和元禄」「狂乱物価」「天の声にも変な声」など数々の流行語を生んだ福田首相
らしいと言えばらしい警句だった。

それはともかく、この事件の直前だか直後、西ドイツでやはりハイジャック事件があ
り、こちらの方はテロに屈せず特殊部隊を送り込んで強行解決したというので、
日本の対応と比較されたものである。
では一方、福田内閣のこの対応は、国内の世論的にはどう評価されていたのか。

政治史的に振り返ると、福田内閣は発足以来の低支持率にあえいでおり、
福田首相としてはかなり国内世論を気にせざるを得ない状況だった。
特に、翌年の自民党総裁選での再選を期すため、解散-総選挙も視野に入れていた
福田首相にとっては、国際的な日本の評判より、国内での自身の人気の方が
優先したのである。
従って身代金を払って人質救出、というこの解決策は、概ね世論の意に沿ったものだ
と言える。
事実、国際的には顰蹙と非難を浴びたが、国内的には、まあ、しょうがないという感
じで受け止められたし、実際、この時は、ほかに仕様がなかったのである。

そもそも今回のイラクでの日本人拘束事件と状況が違うのは、
この時は、単に日本人(日本赤軍)が日本人を人質にして、
しかも身代金と自分たちの仲間の釈放を要求したという、
事件の現場こそ外国だが、実態は国内問題に過ぎない点である。
今のように日本が国際問題に首突っ込んでいて、政治的要求をされたわけではない。
それ故、福田首相を筆頭に、安直に、人質を助けるためにカネで済むなら・・・的な
発想でも罷り通ったのだ。

また、当時は「テロは国際社会共通の敵」なんて認識がまだ薄かった時代である。
むしろ日本赤軍がイスラエルのロッド空港事件を始め国際テロの一翼を担っていたこ
とで、同じ日本人として肩身の狭い思いの方が強かった。
つまり「国際テロ」としての認識より、「身内の不始末」の意識である。
更に言えば、日本赤軍の一連の事件は、「連合赤軍事件」や「企業連続爆破事件」
「内ゲバ」事件などに連なる、1970年代の過激派事件の感覚でとらえられていたと言ってもよい。
従って、「ダッカ事件」もその延長で、「また日本赤軍が外国で厄介事をしでかした、
みっともないから、何でもいいからとにかく早くさっさと終結させて欲しい」という
気持ちが福田内閣の「超法規的措置」による解決を後押ししていたのである。
今回の日本人拘束事件の引き合いにこの「ダッカ事件」やその時の福田発言などを引
き合いにするのはその点で的外れなのである。
つまり、身代金を払えば解決したこの事件は、「人命は地球より重い」という発言ほど実際は
重くはなく、「人命が金で買えるなら安いもの」ということだったのである。
むしろ、「人命は地球より重い」などと発言する程度の事で、その後も特に福田首相の姿勢が
政治問題視されることなくうやむやに済んでしまったのだから、極めてお気楽で軽い発言である。

しかし本当に重い事態に直面した場合、そんな暢気な警句を吐いて片付く問題ではないし、
現に今回はまさにその時であろう。
福田首相の弟子である小泉現首相の口からは、間違ってもこの「人命は地球より重い」
式の軽い発言がなされてはならないのである。


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