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2003年06月20日(金) 美空ひばりの時代

先日、石原裕次郎十七回忌の記念番組「裕次郎 最期の真実」をやってたと思ったら、
今日は美空ひばりのスペシャルだった。
私は裕次郎に何の思い入れもないし、むしろ、裕次郎より「慎太郎の最後の真実」=石原新党の可能性
の方が興味あるので、裕次郎の番組は見る気しなかった。
でも今日のひばりの方は、ついつい見てしまった。

今の若い人は、裕次郎もひばりもロクに知らないだろうが、
1960年代生まれの私などが子供の頃も、既に彼等は「過去の人」だった。
私が初めて見た1970年代の中頃、裕次郎は、「太陽にほえろ」の電話番・・・
いや、ボス役というだけの、ただの中年太りのオッサン。
そして、ひばりに至っては、ちょうど興行をめぐる暴力団との関わりが取り沙汰されて、
干されていた時期だった。
だから、彼等が昔は大スターだったと聞いても、あまりピンと来なかった。

ところが、1981年、裕次郎が入院した時、
連日連夜のようにテレビと新聞は大々的にその容態を伝えたので、
そんなに今も大物だったのかと少しびっくりしたし、
その数年後、やはりひばりが入院した時も、同じだった。
まして、彼等が亡くなった時は・・・、
すげぇ存在だったんだな、と改めて、戦後日本史における「スター」という存在の役割について、
深く考えさせられたものだ。

でも、裕次郎には未だ私は、全く関心持てない。
戦後一時期に一世を風靡しただけの、ただ格好いいスターだったとうだけで、
存在そのものに深みを感じない。
偏見かもしれないが・・・。
それに対して、美空ひばりには、「業の深さ」というか、
戦後日本の象徴的意味を感じてしまう。。


話がいきなり飛ぶが、
田中角栄を嫌いな「お上品なインテリ」は多分、美空ひばりも嫌いだろうと思う。
ひばりって、はっきり言って、品がないし、垢抜けない。
でもそこに、戦後日本復興のパワーを感じるし、それは成上がり者の角栄に
どこか通じるところがある気がする。
私はひばりも角栄も実はあまり好きではないのだが、でもその圧倒的存在感は、
認めざるを得ないのだ。
どちらも、戦後大衆社会ならではのヒーロー。
角栄は「今太閤」「闇将軍」として政界に君臨したし、
そしてひばりは「歌謡界の女王」だ。
でもそのためにかなり無理してるし、そして、失ったものもあまりに多き過ぎるのだ...。
大衆の偶像である事は、それだけ不幸を一身に引き受ける事でもあるのだ。


先日、小林旭の自伝「さすらい」(新潮社発行)を読んだ。
小林旭は、美空ひばりがこの世でただひとり、愛したひと。
だから、旭がひばりのことをどう書いてるか、どう思ってるのか、
とても気になった。
でもそれに関する記述は、ひどくあっさりしていた。

・・・
ひばりがとても可哀相で可哀相で...、仕方なくなった。


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