世界史3 | 2005年10月18日(火) |
世界史が嫌いだった、と書くと、なんとなく日本史は大丈夫だったかのように見えなくもないですが、もちろん日本史も苦手だった私は『人間ものがたり―石器時代から現代までのわたしたちの歴史』(ジェイムズ C.デイヴィス/訳・布施由紀子/日本放送出版協会)を読み始めました。 今日読んだのは、「3 遊牧の民、安住する」で、まるまる一章を旧約聖書に割いていますが、現代に至ってもちっとも解決しないパレスチナ問題の始まりの部分にあたります。 この章には驚きがたくさんありました。たとえば遊牧の民であるヘブライ人アブラムの前に現れた神が「このあたり全ての土地をおまえとおまえの子孫に永久に与えるから」などと、別の人々が住んでいる土地をさして勝手なことを言うのにも驚きましたが、その際、神が提示した契約条件というのが「全ての男子が割礼をし、その包皮を切り取る」というものであることも驚きます。ユダヤ人の割礼は知っていましたが、こういう起源があったとは。 しかし、なにゆえに契約条件が割礼なのかと。いかに神と言えど、いえ、むしろ神だからこそ、いきなり現れて「皮を切り取りなさい」などと言われ、納得できるものなのでしょうか。「あれ、この人、ほんとに神様なのかな?」などと疑問を感じなかったのでしょうか。 さらに、カナン人がヘブライ人の娘を犯し、さらに嫁に欲しいと言ってきた時、ヘブライ人は「おまえらみんな、割礼をするなら」という条件を出し、その後、割礼をしたカナン人の男たちが痛みに苦しんでいる時に奇襲をかけて皆殺しにしたとか、イスラエル人の最初の王サウルは臣下のダビデに「ペリシテ人を二百人殺して、そのペニスの包皮を持ち帰れば娘婿にする」と約束したとか、この割礼と包皮へのただならぬこだわりはなんなのでしょう。 そこで、割礼について調べていた私は、Wikipediaに、アメリカでは宗教に関係なく、19世紀末から割礼が行われるようになり、1990年代までは生まれた男児のほぼ全数が出生直後に割礼手術を受けていたという記述に驚き、1998年に「割礼を推奨しないガイドライン」なるものが提出されたのち、21世紀に入ってからは割礼を受ける男児は減少したものの、今でも約6割は受けているということにも驚き、すでに世界史どころではない、問題は割礼である、と言うべき第三章だったわけです。 |
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