グレートマジンガーおもしろい。かなりおもしろい。 新たな鉱脈を見つけたとばかり、ダイナミック東映アニメを毎日ゴリゴリと見続けているのですが、やはり、私の記憶に間違いはなかった。グレートマジンガーは、やはりおもしろかった! 鉄也が弱い心を持った人間で、人間臭くていい。 永井氏のコメントに、『鉄也も冷たいキャラクターになってしまった』とあるけど、私は鉄也のほうが人間臭くて成長していく要素があるキャラクターだと思いますよ。 『しかし、これは、結果的に成功とはいえなかったようです。グレートというロボットがあまりに完全なものになり過ぎ、鉄也も冷たいキャラクターになってしまったからです。 やはり、キャラクターというものは、どこかに欠点を持ち、それを克服して成長していく要素を残していなければいけないようです。 そういう意味ではよい教訓となった作品でした。』 〜Zの欠点を補うグレートへ/永井豪〜 上は、『Zの欠点を補うグレートへ 永井豪』からの一部抜粋ですが、なんのなんの、私には、鉄也のほうが欠点を持った人物に見えますね。 甲児くんは、操縦技術こそ、当初は未熟ですが、人間的には1話ででたときにすでにかなり理想的な青少年像として登場しているので、むしろ、甲児くんのほうが成長が余地がないんじゃないかと思いますよ。目に見えて成長しているのは戦闘技術で、内面は、1話のころからあまり変わっていないように思う。 途中、ボロットが出た辺りからアフロダイA最期までは、ちょっとイタイ子になりますが、ダイアナンAが登場したあたりからはまた落ち着きを取り戻して、ラスト近くになると、良い子にもどってきて、基本的にあまり変化していないのではないかと。違いますかね? マジンガーというのは、Zと甲児の(戦闘技術)の成長物語でもあるので、Zの進化とともに、主人公がすごく成長したように見えるけれど、実際のところは、成長したのは操縦面だけで、内面はさほど成長したわけでも、変化したわけでもないんじゃないでしょうか。 もともとクラッチでいうところの遊びの部分が多いキャラなので、成長というより、回によって、キャラクターの幅が広がったという感じで、全体を通して大人になったなあ、成長したなぁ、円熟味を増したなあとと感じたことは、ほとんどありません。 なにしろ毎週毎週敵も味方もあきもせずおんなじことを繰り返し、こいつら、ホント、変わらないナァ、といつも思っていたぐらいですから。 なので、彼が成長したのは、戦闘能力、技術的なことぐらいで、精神力は常にこれ以上ないくらい強靭で、成長する余地のさほどない子だったように感じます。 常に現実的で、どうすれば勝てるかということをいつも考えている人でしたし。弱い心に負けることのない人でしたので。 ただあの最終回だけは除いては。 それに対して鉄也は、なるほど、たしかに永井版の鉄也は、味もそっけもない人物なので、永井氏のコメント通りなのかもしれません。冷たい印象のキャラ、それであっているでしょう。悩みもなければ陰もない面白みにかける人物。プロの戦闘員。子供たちが感情移入しにくい主人公だったのも事実だったでしょう。 ハレンチ学園の山岸くんがモデルという前作主人公甲児に比べたら、鉄也というのは、永井氏にとっては魅力に欠け、扱いにくいキャラだったことは想像に難くありません。 ただしそれは永井鉄也においてのみ。 アニメのほうに限っていえば、鉄也は情けない、未熟な人物だと私は思いますよ。 桜多版の剛毅で潔い鉄也と違い、アニメの鉄也はグズグズがお得意です。 ぐずぐずするのは苦手なんだ!といっていたくせに、回が進むにしたがって、グズグズが得意になっていく鉄也。 あのZ最終回のビラニアス戦はただのビギナーズラックだったのだろうか?というなさけなさで、戦闘技術も、精神面もグズグズになっていきます。 トラウマ持ちで、ひがみ根性をもった貧しい孤児鉄也。 妬みや、あせり、恐怖という負の感情に簡単に支配されてしまう鉄也。 克服しなければならない課題をかかえ、それらを、努力と訓練によって乗り越えていこうとするビンボー鉄也。鉄也のほうが、よっぽど成長しなきゃなならない要素を持ち、実際、成長していった人物じゃないでしょうかね。 いつも黄昏ていた大介さんですら、自分の才能に対しては自信を失うことはなかったのに、(大介さんは基本的に地球人を自分より劣った種族として、見下しているところがあるよね、この人は王子だけあって、高いところからの物言いが目立つ)鉄也はしばしば、自信喪失で不安にかられているところがある人物ですね。 私にはね、甲児くんはできすぎに見えるんですよ。 甲児くんが他人をうらやんだり、自分の境遇を嘆いたり、自分を卑下する話なんて、一回でもありましたっけ?さやかや弓先生にカツ入れられる話なんてありましたっけ? 甲児も欠陥家庭の子ですが、メソメソ泣いているなんてことはしません。どんなときでも現実的です。どんなときでも現実逃避せず問題を解決しようとしています。 どんな苦戦を強いられていても余裕ぶっこいているように見え、どんなに劣勢を強いられても、彼がいれば勝てるような安心感を人に与え、どんな辛いことがあっても次の瞬間にはケロっとしている。それが、甲児の芸風であり、甲児のクオリティ。 甲児が一流のアマチュアだとしたら、鉄也は二流のプロなんですよ。 もしかしたら、私がちっちゃいころ、甲児が好きじゃなかったのは、こういったコンプレックスをかかえているところがないので、親近感をもてず、感情移入できなかったからかなぁ、と今そんなことを思ってしまいました。もしかしたら、Zの影のないところが、考えなしの人間に見えて、幼児には幼稚に見えたのかもしれません。あるいは、鉄也サイドで見ていたので、甲児の存在が邪魔だったとか? いや、そんなことわかる年齢ではないから、そんなことはないとは思うのですが、けれど、鉄也は感情移入しやすかったです。どんな本をみても、甲児とさやかに比べ、鉄也とジュンはちびっ子には理解しづらいと書いてあるけど、でも、私は後の二人のほうが、親しみを覚えましたね。もっとも、一番親しみを覚えたのは、私も例外にもれずボスでしたが。 なんというか、子供の目からすると、悩みをもった人間ってのは、格好よくみえたりするものなんですよ。苦悩している姿が理知的で、格好がよく見えたりする錯覚をおこすのです。本当は全然格好よくなんかないのに。 今となっては、なぜ甲児が好きでなかったのか、あやふやでわかりませんけど、今の目でみると、甲児くんは精神的に大人っぽくて、たいへん格好いいですね。 そして、鉄也がいかに情けなく、いかに可哀相な人物かは、また次回に。
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