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24082

■お休み■

店がお休みだったので母と叔母と出かけた。
ラーメンを食べに行って、叔母の姑の家に預けていた従姉妹を迎えに。
叔母の姑の家は結構田舎で、大きな犬がいて前足でじゃれてくる。
あとニワトリが1羽と白い猫が一匹。やっぱり雌鳥は可愛いなぁ。
倒れるまで戦う軍鶏の雄鶏とはまた違った良さがある(鶏好き)。
まだ卵を産むまで大きくなっていなくて、
「ピヨピヨ」と「コココ」が混じった声が懐かしかった。
以前飼っていたニューハンプシャー種のTさんは
その子と同じくらいの大きさで卵も産めず死んでしまった。
家で飼っていたTさんを可愛がりすぎたため
父に捨てろと言われ(捨てられず)学校に連れていった。そのすぐ後に
学校の鶏に虐められるストレスで死んでしまった。
父に殺されなかっただけマシかも知れないが
どの道辛いまま死んでしまった。私でない人に飼われていれば
今頃大きな茶色い卵を産んで可愛がられていたかも知れないのに。
Tさんは首が長くて足が速くて茶色だった。今日逢った子は
白に茶の斑があって、首は長いが丸みをおびた雌鳥らしい躯だった。

後は母の実家に行ったと思うけれどあんまり記憶がない。

追加-3:38-
思い出した思い出した。友人の日記に子供が出てきて思い出した。
母の実家に行って、先月叔母が産んだあの男の子、「みっくん」を
抱いて、薬をあげたりあやしたりした。先週より重くなってた。
泣き声が羊かヤギのように「メェェェェ」と。
みっくんの下の姉マミが、手が小さいなぁ、と言うので
あんたもこんな小さかったんよ〜と言ってやったら
「えー嘘やろ」という顔をして笑っていた。平和だなぁ。
そういえば地元の新聞にあった詩の投稿欄で
「知らなかった お父さんもお母さんも昔は小学二年生だったんだ」
というような内容(うろ覚え)を書いていた小2の子がいた。
私達くらいの年代ではもう、そんな事は当たり前だけれど
初めてそれに気付いた時ってどんな気持ちなんだろう。
話が逸れた。
母の実家は平和で、穏やかだ。みっくんを抱いてあやす叔母を見ると
私も昔はあんな風に可愛がられていたんだろうなと思い
今の自分の状態を振り返っては申し訳なくなる。
私の日記をお気に入りに入れて下さっている男性が、
その人のお父さんの命日に、「今なら息子も話せるようになって
いっぱい遊べるようになったしいっぱい親孝行出来たのに」と
書いていて切なくなった。孫の顔を早く見せてやる事も孝行なんだな。
虐待しそうで恐いのと親孝行したいのと、何だか子供からしてみれば
そんな理由で作る作らないを考えてるのか、というような事を
考えてみたりした。どんなに殴られても怒鳴られても
父が喜んでいる顔というのは想像するだけで楽しみで涙が出てくる。
或いは、鬼みたいな顔で殴られたり蹴られたりしていたからこそ
心から喜んでくれる笑顔の父を見たくて、親孝行なんかしたいのか。
■2001年11月26日(月)■

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