休日の朝、自分だけしかいないダイニングで、本日二杯目の珈琲など飲みながら、本来そうするために設計されたわけではない西洋式の椅子の上で、半跏趺坐などして、時ならぬ時を過ごしたりするのです。体とか心という境界がないところ、無限・・・時空のない無限にふれて、有限なるもののところにも、やわらかな光のような癒しのような何かが訪れるのです。