Espressoを飲みながら

2003年06月09日(月) 手紙とメールと電話

引越しの片付けをしていた時に、スペインに
語学留学した時の台湾の友達からの手紙がでてきた。
手紙の内容は近況報告のようなものであったが、
婚約者が他の男と逃げたとか、感情的な内容を多々
含んでいて、なんて言葉を返したら良いかわからず、
結局御返事しないままになっている。

 1998年に書かれた手紙。思えばこれ以後で、
紙に書かれた長文の手紙はほとんど全く受け取って
いない。言うまでもなくe-mailを使うようになった
からである。

 元々私は信じられないほど筆不精で、
年賀状すら小学校で無理やり書かされた以外は
まず書かなかった。便箋、封筒、切手。書いた後の
ポストへの投函。それらの作業が面倒で仕方なく、
もらった手紙も「本当に用があるなら電話してくるだろ」
くらいにしか思わず放っておいていた。

ところがe-mailだとなぜかしっかりレスしてしまう。
それも結構素早く。結論:手紙が嫌いなのではなく、
私は郵便局とそのシステムが嫌いだったのかもしれない。
後、手紙を便箋の終わりの方まで書いてあと少し、という
時に字を間違え便箋を捨てる時の虚しさ。

だから、私の場合メールするようになって手紙を書かなく
なったということはない。元々ほとんど書いてないのだから。
メールにその地位を奪われたのは、電話。それも長電話。
メールができる前、高校生の時などは1日に何時間も長電話した
けれども、最近の電話はだいたい5分以内、ほとんどは3分以内
が基本。長くなる話はメールを書くことが多い。
論理的に書けるし、相手に届く前に校正をかけられるので
誤解、トラブルも少なくなった。

でもなんだか希薄な感じもする。電話の意味もない言葉の
やりとりが面白かったのかもしれない。しっかり聞いても
いない内容の話にうんうんとうなずいたり、訳のわからぬ
事を突然言い出したり、そんないい加減さが電話のいいところ
だったのかもと思う。

無用の用、とはこのことか。


 < 過去  INDEX  未来 >


空遊 [MAIL]

My追加