引越しの片付けをしていた時に、スペインに 語学留学した時の台湾の友達からの手紙がでてきた。 手紙の内容は近況報告のようなものであったが、 婚約者が他の男と逃げたとか、感情的な内容を多々 含んでいて、なんて言葉を返したら良いかわからず、 結局御返事しないままになっている。
1998年に書かれた手紙。思えばこれ以後で、 紙に書かれた長文の手紙はほとんど全く受け取って いない。言うまでもなくe-mailを使うようになった からである。
元々私は信じられないほど筆不精で、 年賀状すら小学校で無理やり書かされた以外は まず書かなかった。便箋、封筒、切手。書いた後の ポストへの投函。それらの作業が面倒で仕方なく、 もらった手紙も「本当に用があるなら電話してくるだろ」 くらいにしか思わず放っておいていた。
ところがe-mailだとなぜかしっかりレスしてしまう。 それも結構素早く。結論:手紙が嫌いなのではなく、 私は郵便局とそのシステムが嫌いだったのかもしれない。 後、手紙を便箋の終わりの方まで書いてあと少し、という 時に字を間違え便箋を捨てる時の虚しさ。
だから、私の場合メールするようになって手紙を書かなく なったということはない。元々ほとんど書いてないのだから。 メールにその地位を奪われたのは、電話。それも長電話。 メールができる前、高校生の時などは1日に何時間も長電話した けれども、最近の電話はだいたい5分以内、ほとんどは3分以内 が基本。長くなる話はメールを書くことが多い。 論理的に書けるし、相手に届く前に校正をかけられるので 誤解、トラブルも少なくなった。
でもなんだか希薄な感じもする。電話の意味もない言葉の やりとりが面白かったのかもしれない。しっかり聞いても いない内容の話にうんうんとうなずいたり、訳のわからぬ 事を突然言い出したり、そんないい加減さが電話のいいところ だったのかもと思う。
無用の用、とはこのことか。
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