2001年07月31日(火) |
sketch of the day(Qlogに移転済み) |
太陽がまぶしい。真っ白にまぶしい。
もはやそれは太陽光線の領域を超えてスペシウム光線の次元に 達しているようだ。
お月様にはうさぎがいて餅をついているとかつて老人は子供に 教えたものだった。
多分未来には老人は太陽にはアラシ隊員がいてマルス133を 構えているんだよと子供に言うことだろう。
空気は暑くしめっていて、しかもそれはエアコンと呼ばれる 機械が使用されている状態においてそうなのだ。人間がむやみ やたらに冷房を使用した影響が手伝って、なんと地球全体が温 くなってしまった。人々はおそれおののき、いくつかの企業や 地方自治体では冷房を28度に設定するというISO14001という 反動的な、そこに働く人間の作業効率を考えると知性的とはお せじにも言えない基準を採用し始めた。わたしは今そのような ビルのなかにいる。
昼に食事に出た。4種類のバターがでてくる元町日和でラン チをとる。冷製スープがなにより美味しい。そう、カミュの異 邦人にでてくる主人公もこれさえ飲んでいれば暑さで殺人を犯 すことにはならなかっただろう。
アイスコーヒーにミルクを全部入れてアイスオーレにしてし まう。普段は砂糖もシロップもいれないが、暑さがそうさせる のか、ここ最近は店で飲むときに限って甘いものを入れる。
わたしはふと思った。いやふと思ったというのは正しくない というのも計画的に思うことなどないからだ。全ての思ったは ふと思っただ。この辺の描写についてわたしが唯一尊敬できる のはかの偉大な20世紀のならず者の神秘家、ゲオルギー イ ワノビッチ グルジェフだけだ。彼はこのような時、いつもこ んな風に描写した。「わたしが自動的連想に身を任せていると 、、、」。そう、この自動的連想という言葉は正確だ。わたし は正確さを尊敬する。なぜなら正確さこそ、わたしが生まれて から決して手に入れることができなかった、そしておそらくこ れからも手に入れられないであろうことが確実な数少ないもの だからだ。
その時わたしにやってきた自動的連想はこうだった。つまり 「人は遙か遠いところまで旅を何度も続けるのだが、なぜかい つもどこまでいっても「そこ」は「ここ」なのだ。」
そう、実際にわたしは北大西洋を眺めるイベリア半島最北端 スペインはガリシア地方のコルーニャまで旅をした。ガリシア (Galicia)は雨が多いことで有名だがやはりその日も雨、その 雨の中、ほとんど他に人もいないような歴史的建造物、ヘラク レスの塔に登り、12月の冷たい北大西洋を眺めていた。
「日本からはるばると長い旅路を歩んでも、イベリア半島の 最北部まで来て北大西洋を眺めても、ここに僕がいる限り、こ こは「ここ」なのだ。僕は僕をどこかに置いてきぼりにするこ とはできない。その意味において僕はどこにも行けない。」
その時、わたしは一つの旅の終わりを感じた。もうどこに行 っても同じだと直観したのだった。
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