フォーリアの日記
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2010年06月10日(木) 顧問の先生の訃報と夫の思い込み(実は私の勘違い)

今日は晴れ。昼間は暑くなりました。
こういう日には普通に半袖で過ごせるのが当たり前のような気がしてきますが、
一時の暑さにだまされて今月は何度洗ってしまったカーディガンを出してきたことか。

おばあちゃんの踏み台運動と、かかってくる電話といろいろさばいて、
時間の掛かる昼食をとり、他の用事も済ませるとあっという間に午後4時ごろになっています。
ヨガもビリーもちっともできません。
今月あんまりやっていないような気がします。

夫が夜帰ってきてメールチェックしていました。(多分何週間ぶりだと思う)
その中に、高校の時の吹奏楽の顧問の先生の訃報がありました。(音楽科ではない方の先生)
夫の同期のひとりが地元で高校の先生になっていて地元情報が入るようで、知らせてくれたのです。
6月3日に告別式だったそうです。

夫が告別式の場所が須坂だったので須坂に住んでいたの?と驚いていました。
その先生は私の実家の近く(同じ団地内・・団地といっても一戸建ての集合)に住んでいて、
昔から近くを通るたびに「○○先生の家はこのあたりだよ。」という会話をしていたはずです。
なぜ知らないのかとこちらがびっくりしました。
夫は「○○先生」は私が中学の時の先生か何かだとばかり思っていたそうです。
吹奏楽の顧問という話をしていると思うのですが、あくまでも中学と思っていたのでしょうか。
(ちなみに私は中学では吹奏楽部ではありません。)
「○○先生」という同じ名前の先生がいると思っていたのでしょうか。

帰省で通りがかった時に「挨拶していったら?」というような余分なことも言っていましたが、
もう子供の代になっているだろうから、あまり常識的でないことを言うなあと思っていました。
もちろん母が健在の時はご近所として奥様と知り合いだったようですが、
私自身は家族に面識はないので、帰省したというだけで挨拶するほどの関係もありません。
吹奏楽でお世話になったからと挨拶するなら夫も同等なのですが、
他人事だったのはそういうわけだったのですね。
30年以上も勘違いしたままだったとは、信じられません。

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と書いたものの実は私の勘違いだったことが判明。
(徐々に思い出しました。)
同じ町内なのは高校の先生ではあるけれど書道の先生で、
顧問の先生ではありませんでした。
夫のことも知っていたみたいな話を母から聞いたことがあるので顧問の先生のような気がして
いつのまにか混同していたみたいです。

そのほか先日友人と「話がすれ違う話」をしていたところだったので、
すれ違うのが当たり前のような気がしていたのも悪影響があったようです。
これは反省しなければなりません。

長期的な記憶力には自信があったのですが、30年前のことはかなり怪しいことも増えてきています。
増えたのではなくもともと記憶に自信がもてるのはせいぜい20年かもしれません。


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