フォーリアの日記
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2004年11月22日(月) 3日目にして最終日

朝10:50石垣空港発で那覇へ行きました。所要時間1時間。

沖縄空港へ着陸寸前に、ハプニングがあったようです。
滑走路に落下物があって撤去中。
安全確認が終了するまで、上空で待機。
でも待ったのは10分程度で、まもなく着陸しました。

那覇で乗り継いで、東京(羽田)へ行くのですが
16:50発なので5時間ほど間があります。
ここで買い物でもして過ごすか、首里城まで行くか(または両方か)
もともといろいろな説があったのですが、
首里城まで行くのと国際通りでショッピングは時間的に両立しないということで
二手に分かれることになりました。
私は首里城組。(図らずも年齢層別に分かれたとも言う。)

首里城は遠足の小学生や、修学旅行の高校生もたくさんきていてにぎわっていました。
小高いところにあるので、市内の眺めも素晴らしい。
お城そのものは復元なので城壁もコンクリートの部分が多いのですが、
さすがに琉球王朝の居城ではあります。
まだまだ発掘中なので本来の規模はこれだけではないようです。
ウィンドーショッピングでは退屈するのでこちらへ来て正解だったと思います。

4時に空港で集合ということになっていたのですが
集合前に空港のトイレでばったり会いました。
私はストッキングに穴があいたので履き替えていたのです。

ところで、若くて食の細い人たちはどうも不思議な食生活をするようで
昼食を食べなかったそうです。
間食や名産品の試食などでおなかをふくらましたとのこと。
今日に限らず、ホテルの食事でも、本来の食事時にあんまりたべないのに
それ以外にちょこちょこ甘い物や揚げ菓子を食べるのです。
一方首里城組(おじんおばん組)はしっかりレストランに入って沖縄そばを食べました。

よく娘が今時の高校生はそういう食べ方をする人が多いと言っていたので
後で聞いてみたら「そんなの普通にいる。食が細い人たちみんなそう」だと言っていました。
日本の将来は長寿国じゃなくなりそう。

さて、帰りの飛行機ですが、16:50発で、16:30から搭乗開始の予定でした。
1、2分前に「まもなく搭乗手続きを開始いたします。」
2歳以下のお子様をお連れの方、ご高齢の方、スーパーシートの方を先に
次に何とかシートの修学旅行生
一般の方はもうしばらくお待ちください。
などとアナウンスがあり、人々が立ち上がって入り口に並んだころ
今度は突然に別のアナウンス。

「ANAのコンピューター故障しています。全国的にただ今すべての手続きを停止しています。」
とアナウンスが流れました。
「え?どこの話?すべての手続きって・・今乗れなくなっちゃったの?」
1回目のアナウンスでは自分たちに関わると言う実感があまりなかったのですが
何回もアナウンスがあり、搭乗も開始されないのでこれは困ったと思いました。
銀行のコンピューター故障だって復旧に数時間や半日かかっているから
もしかしたら何時間もかかるかもしれない。
飛行機は飛んでも帰りの電車の最終に間に合わなかったら帰れない。

待合室の座席は満員のジャンボの乗客が全部座れるほど多くはなさそうですが
修学旅行の高校生たちが通路の端に行儀よく並んで体育座りをしていたので
一般の乗客は椅子に座って待つことができていました。

結局復旧は心配したほど遅くならず、45分遅れで搭乗手続きが開始されました。
羽田へついてモノレールに乗りこみましたが荷物が重い。
手荷物を預けた時に測った重さを見たのですが、ボストンバッグは10kgありました。
ボストンバッグではころがせないのでちょっと重い。

浜松町経由で帰ろうと思っていましたが、何度も乗り換えたり
通勤客の多い平日の夜の京浜東北線で立っているなどつらいかもしれません。
浜松町まで切符を買っていたのですが、天王洲アイルで降りることにしました。

天王洲アイルで電車を待っている頃には腕などがだいぶ参っていて
降りたら、駅から家まで近いけどタクシーに乗ってしまおうと思っていました。
しかし、天王洲アイルからずっと座っていけたのでその間に元気になり
降りてから家まで荷物を持って歩きました。

家へ帰ると疲れてはいましたが、撮った写真を見たりしました。
ぼけぼけばかりかと心配していましたが、意外とよく取れていました。


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