フォーリアの日記
目次|過去の日記|未来の日記
友人と電話で発声法についての話を少ししました。
発声法については、素直に無駄な力を抜いてこそ正しい発声が見えてくると言うのが私の持論です。 いろいろとあそこをああしろ、ここをこうしろと指導をされると、 言われたことがたとえ正しくても、 指導を受ける側はどうしても言われた部分だけを意識してしまって 全体には無駄な力が入ったままだったりします。 それではいい声は出てきません。
友人はクラシックの歌を始めたのは大人になってからですが 熱心に歌の練習に取り組んでいて、イタリア語も勉強し、 今ではかなり歌えるはずです。 持ち前の豊かな感性を発揮して、きっと聞く人が楽しめる歌を歌っているはずです。
その友人の悩みは、鼻腔が響かないということでした。
私はそれをずっと疑問に思っていました。 鼻腔が狭いという特質があったとしても 狭いなりに広い人ほど大量な息を通そうとせず、柔らかく息を通せば響くはずです。 もちろん広い人のような豊かな響きではなく、細い響きになるでしょう。 でも細くてもそれは心地よい響きのはずです。 私もそんなに鼻腔は広くないし(西洋人は広いです)ハミングも苦手だけど あんまり意識する必要を感じたことはありません。
だから鼻腔に「通らない」と思うほどの息を通さなければならない状態と言うのは そのかわりにどこか通るべきところがふさがっている状態かもしれないのです。
でも、私に理解できない高度な悩みかもしれないので とくに反論はしてきませんでした。
ところが今日、全く鼻腔を意識せずに 他に堅くなっていた部分があったのでそちらをほぐして歌ったら ストーンと抜けてどこも苦しいところがなく歌えたと言うのです。 よかったね。ほんとによかったね。 彼女は電話のむこうで歌ってくれました。
電話の音質がそんなによくないのですが それでも、感性豊かなフレーズ感と耳に心地よい残響が聞き取れました。
----- memo プリンタBJ M70を修理に出しました。 先日来「ラ」(二点イ)の音が出ない電子ピアノの修理を依頼しました。
|