酸性

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2002年01月05日(土) ゲージツはバクハツだー

6日に書いてます。
ずっと書こうと思いながら書かなかったので、昨日のスペースを借りて。

帰国した時にMOMA展に行きました。
(アメリカから帰国してMOMA展に行くっつーのもヘンな話ですけど)
でやはり日本で、隙のない「デザイン」が溢れているように
感じたことについて、いろいろ(でもないけど)考えました。
答えはでてないんですけど…もやもやとしていて。

日本に戻って何が楽しいかって、可愛くて使いやすいモノが溢れている
雑貨屋さんとかデパートなんかを見て回ること。
時間の経つのも忘れるほどです。(暖房の効き過ぎが玉にキズですが)。

でもでも東京の溢れんばかりの素敵なモノたちに、ちょっと
圧迫され気味だったのも事実です。

私の美意識が低いのかも知れませんけど、
デザイン性の強いものばかり見てるとだんだんムカツイてきます。
カッコいい仮面の下には「どう?私って素敵でしょ?」みたいな
素顔が隠れていそうです。

その点、MOMA展で見た絵画達にはそういうものを感じませんでした。
媚びがないっつーか。「どうどう?素敵でしょ?」っていう声ではなくて
「こういうもの書きたいから書いたんだよ、文句あっか?」みたいな
声が聞こえてきそうです。

「私は部屋に飾って、わぁ素敵♪みたいな絵は描きたくない。
むしろ嫌がられる絵を描きたいね」みたいなピカソのコメントを
(裏覚えだよ!そんな感じのことをね…)ピカソ展で読みました。
でも結果的にピカソの絵は部屋に飾りたい絵です、私にとっては。

岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」論(?)に賛成です。
やはり私にとっての美術鑑賞の醍醐味は、
芸術家達の爆発した瞬間を感じることです。
抽象画とか、複雑でない絵画を見て
「わからない」とか、「自分にも描ける」という人がいると
「でも描こう!とは思わないでしょ」と言ってしまいます。
中には抽象画を見て何が描かれているのか分かる人もいるのでしょうが、
私は描こうとしたエネルギーを感じたいです。
私にとって不快なエネルギーだとしてもです。

こう考えると、美術館などにある絵画達は美術館という
特殊(非日常的)な空間にあるから、
日常に溢れるデザイン達と比べたらいけないのか!
日常にあると、デザインから発する不快なエネルギーはただの
不快でしかないもんなー。
「デザイン」というものは、人に好かれるべき、という宿命を
背負わされているのだな。だから媚びを感じるのね。
そうか、だんだん頭がすっきりしてきた。
そうなると、匂いor香りと同じ、好きか嫌いかどっちかかもなー。

         +++++++++++

友達の結婚式に着ていく留袖の着付け&メークを銀座の
資生堂ビューティーサルーン(なんかすごい名前)でしました。
ザ・ギンザが1Fにある、殺菌消毒したように真っ白な店内に
入った時、「あぁ東京だぁ…LAなんかに戻りたくないなぁ…」と、
涙が溢れてしまった私です。(いやホント。かなり恥ずかしかった)
そんな風に心に響くデザインももちろんあるんですよー。


みこちん |mailhomepagebbsセンリューゴージャン!

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