武ニュースDiary


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2018年12月17日(月) 金城武の子ども時代(「PUSH偶像」より)

続きです。


活発で、人に好かれる

お父さんはよく休暇を利用しては、
一家を南部屏東にあるウナギの養殖場に遊びに連れていった。
武はウナギを見るのが好きだったし、池のほとりや田んぼの畔で小エビを捕まえたり、
魚を眺めたり……また楽しからずやである。
自然が好きな武は、小さい頃から丈夫で病気が少なかった。
今もめったに病気はせず、丈夫だそうである。
肉が好きで魚は嫌い、ただ寿司は大好きだ。
武の良い体格は、刺身と深い関係があるのではなかろうか……。

日本人学校に入学後は、学業面でのプレッシャーはなく、宿題もなかった。
せいぜい家で日記を書いてくることぐらいだ。
成績はごく普通だったという印象を、お母さんは持っている。
その代わり課外活動にはよく参加していたという。
学校の水泳代表チームに入り、他の日本人学校としょっちゅう対抗試合をしていた。
また、バスケットボールも上手だったが、活発でじっとしていない武は、
剣道のクラブにも入り、勇ましい剣道着一式を持っていた。
しかし、新しもの好きで、何事にも熱意が長続きしないため、
あれを習い、これを習いしては、3カ月、あるいは1年で熱が醒めてしまう。
これが彼の特徴の1つなのだ。

可愛い金城武は、学校の運動会ではいつもリーダーを務めた。
日本人学校の運動会にはオープニングの踊りがある。
武は1年生から9年生(中学3年)までずっと、
壇に上がり、法被を着て鉢巻を巻き、短パン姿でみんなを指揮した。

台湾語が話せたことで、武は日本人学校の先生たちのお気に入りになった。
台湾語ができ、かつ、台北の美味しい店や面白い場所をよく知っていたからである。
それで、武はたびたび先生方を食堂に案内してあげたし、
どこが面白いか、労苦をいとわず先生や同級生に教えてあげた。

もともと、気が小さく背も低かった武は、決して1人きりで家にいようとはしなかった。
恥ずかしがり屋で気が弱く、いじめられることがよくあったが、
自尊心の強い子だったので、泣いて帰って家の人に訴えるようなことはめったになかった。
思春期になり、背が急に伸びて、性格もだんだん強くなると、
誰も彼を面白半分にいじめるようなことはできなくなった。

学校ではこのように活発だったが、相変わらず両親の言うことをよく聞くおとなしい子で、
土日に同級生と遊びに行く以外は、ほとんどの時間を家で漫画を読んだり、
ゲームをしたり、“卵を孵し”たりして過ごした。
卵を孵す? 
つまり、武は一時期、小鳥を飼うのに熱中し、
興味津々で様々な小鳥を買ってきたのである。
果ては卵を買い、引き出しに入れて、電灯で温め、一生懸命孵そうとした。
注射器を使って小鳥に餌をやったりもした。

特にお気に入りだったのは太陽鳥で、暇さえあればこの鳥に言葉を教え、
一日中ひそひそ囀りながら楽しんでいた。
ところが、冬に気温が下がり、小鳥が寒がるのではないかと心配になった武は、
寝る前、眠気でぼうっとしながら綿を小鳥にかけてやった。
翌朝、なんと小鳥は死んでいた――かわいそうに、窒息したのである。
武は身も世もなく泣き、一日中打ちしおれ、ふさいでいた。


中学時代。後列右から2番目

自由だった学校生活

日本人学校の9年間を終えると、日本に行って進学するかどうか悩むことになる。
幸い住まいが天母だったので、アメリカンスクールに進学するという選択肢もあった。
しかし、自由で開放的な校風を、武の両親は心配した。
このよい子が、アメリカンスクールで悪いことを覚えてしまうのではないか。
そこで、初めに3つのことを約束させた。
1 大麻やタバコは吸わない、2 男女の関係にならない、
3 喧嘩はしない……夜12時前には必ず帰宅すること……

武は後にタバコを覚えたが、内心では気が咎めていた。
彼はこう説明している。
「学校の休みを利用して、友達とレストランでアルバイトをしたんですが、
支配人が本当にきつい人で、ぼくらにわざと面倒をしかけてくるんですよ。
それで気持ちが腐ってしまい、友達につられてタバコを覚えてしまいました」
それでも、この悪い習慣を止めたいとは思っていた。

一般に反抗期の子どもは、跳ねっ返りの行動に走るが、
金城武は腕白であっても、家の決まりにはきちんと従った。
お父さんが一と言えば一なのであり、口答えはせず、必ず従った。
台北に帰ってきている間、お父さんは夕食後の時間を利用して家族会議を開いた。
そして注意深く子どもたちに尋ねる。
「私がいない間、学校でどんなことがあり、どう解決したか、どう対処したか?
どんな困難があったかな?」
父と子は誠意をもって問題に当たり、率直に話し合った。
気の置けない親子の交流であり、たとえいつもそばにはいなくとも、心は常に通い合っていた。

父親の威厳を武は尊敬して、こう話す。
「お父さんは仕事がとても忙しいから、ぼくらと接する時間が少ない、
だから、ぼくらのことを知るのは難しい。
他の日本人のお父さんが大体そうであるように、
時間をかけて初めて理解することができます。
本当はお父さんはぼくらのことをとても考えていて、
ただその表現の仕方が、お母さんとは違うところがあるというだけです」

アメリカンスクールに入ってから、金城武も外見に気を遣うようになった。
特に土曜日の学校のパーティーには、必ずおめかしして出席した。
友達は多く、いろいろすることも多かったが、それでも必ず夜12時前には帰宅した。
アメリカンスクールでは、その優れた外見が、
またしても人の目に留まることになった。
美容院に行ったとき、CM制作会社の人が気に入って、CMに出演するよう説得したのだ。
そのとき、武は学校を休み、一家でアメリカに遊びに出発する前日だった。
名刺を見るなりお母さんは言った。
「CMに1本出るだけで3万元ですって? 騙されてるのよ、ひっかかっちゃだめよ」

アメリカのシアトルやカナダでは湖水地方を散策するかたわら、
お父さんは息子たちにゴルフを教えた。
武は興味を持てなかったが、次兄の方は大いに興味を示し、ゴルフ選手になろうと決心した。

武は兄と一緒に一足先に台湾に帰ると、内緒でCMに出演した。
そして生まれて初めての出演料1万元をもらい、お母さんに見せた。
とても嬉しかったそうだ!
父は武にゴルファーになってほしかったのだが、武はゴルフが好きでない。
そこで、「20歳になったら、何をするかは本人に決めさせましょう」
とお母さんが提案した。
お父さんは、
「この道に進もうというなら、本気の訓練が必要だ。
もし、ただ面白いからというだけの理由なら、3年ほどやってみて、
また自分でどうするか決めなさい」とよくよく言い聞かせた。

CMを撮ったのは面白そうだと思ったからだ。
ところが福隆(フーロン)事務所が目を留め、契約するよう、何度も声をかけてきた。
「あの人たちはぼくがバイクを買いたがっているのを知っていたんですよ」
結局、そのバイクゆえに武は説得されてしまう。
15歳で福隆と契約するとき、両親は強く反対した。
留学か、他の業種の仕事につくかしてほしいと願っていたからだ。
しかし、武は演技することに強い興味を感じていた。
CMだけでなく、ドラマやCDなど、どれも試してみたいと思っていたのである。
(続く)


あと1回です。
お母さんの話による文章はここら辺まで、以下は武へのインタビューが主になります。
この雑誌記事は、中国のファン、武のいた永遠さんが微博にアップして下さった画像によるものです。
ありがとうございます。谢谢。


   BBS   ネタバレDiary 13:45


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