武ニュースDiary


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2008年06月14日(土) men's uno(更新)●中国銀幕●目黒シネマ

大陸版men’s unoのブログが紹介されていましたが、読んでみて「?」。
本誌と文章が違うのです。
もちろん共通してるんですすが、結構違います。
本誌の文章は、なんというか、意味はわかるんだけど、意図がわからないというか、
私の力では、ということなんですけど、誰かに聞いてみなくちゃと思っていました。
ところが、こちらは大変わかりやすい。
なんでだろう。インタビュアーは同じで、文章の名前が違うので、
違う人なんだろうか? 同じ人で、ブログと本誌を書き分けたんだろうか?
私はブログの方が素直でわかるので、こちらを翻訳してみます。



金城武は風月を語るのみ、恋は語らず
Ever Changing KANESHIRO

瞬く間に芸能界デビュー17年、34歳の金城武の成長の跡は、
彼を見れば、やすやすと見てとれる。
もはや単純な明るい少年ではなく、内実豊かな、あかぬけて成熟した男である。
恋愛については、金城武とこんなに長く仕事をしてきた以上、
聞き出せることとそうでないことはおのずから承知している。
口にしたい気持ちは捨てるしかない。
このテーマに関しては、彼の幸せと円満を心から願い、彼とともに喜ぶことにしよう。

金城武の変化を、我々は1つ残らず目撃してきた。
彼は、どんな変化も、みな成長だった、と言う。
唯一変わらないのは、おそらく、その遥か遠くから聞こえてくる
爽やかな笑い声だろう。

赤壁風雲

ジョン・ウーが監督と聞き、自分の役を知らされ、
金城武はただちに映画「赤壁」出演を決めた。
諸葛亮について、彼はこう言っている。
魅力に満ち溢れた人物で、機知に富み、聡明で、的確に先を読む。
実在したにもかかわらず、憧れの伝奇的人物のようであり、
それゆえ諸葛孔明像は人によって違う。
だから、自分の諸葛孔明が万人に認められることは期待しない。
ただ、監督の求めるものであると同時に、
自分自身の風格も込められた「金城式諸葛亮」であれば、満足だと。

ウォン・カーウァイやピーター・チャンの映画に出演してから、
突如、悟りが開けるように多くのことがわかってきたと、金城武は言う。
彼の学びの目標は、これらの巨匠クラスの監督たちだ。
つまり、国際的に成功をおさめた監督たちはみな、
あふれる才能ガありながら、穏やかで謙虚だ。

興行成績については、できるだけプレッシャーと考えないようにしている。
映画は個人のものではなく、監督、脚本家、それに俳優、スタッフ1人1人の
共同作業の結果であるから、自分のベストを尽くせればそれでよい。

アジア全域で超人気の金城武に言わせると、中国と日本では、
映画制作方法は全然違い、忘れられない体験がある。
初めて日本で撮影をしたときのこと、現場で台本を手にしていたのは彼1人だった。
香港、台湾ではいつもそうだったからだが、それは日本ではプロではない、
あるいはふまじめであるかのようにとられてしまうのだ。

だから、2つの異なる文化の狭間で、心に残る体験をしてきた金城武は、
まるで文化コンバーターというメカニズムを持っているかのようだ。
1秒前、日本人スタッフに呼ばれて向こうを向いた金城武は
上品で礼儀正しい、標準的な日本青年だった。
1秒後、再びこちらに向き直って我々との四方山話を続けると、
そこには中国式の金城武が戻っているのに気が付く。

まもなく「死神の精度」と「赤壁」が公開されるだけでなく、
2009年には「K−20 怪人二十面相・伝」公開が予定され、
瞬く間に七変化する金城武が、世界の大スクリーンで
いかにその素晴らしい風貌を見せつけるか、期待させずにはおかない。

台北は心の故郷

デビューして、歌謡界の四小天王の1人と呼ばれてから、映画界に転身するまで、
どう道を選択するかは、実は意識的にしてきたわけではないと、金城武は言う。
ただ、チャンスがくれば、いつもやってみたくてうずうずし、
そのチャンスを逃さないようにしたことが、今の自分を作ったという。

現在、常に世界を東奔西走しているが、中でも多く向かうのが台北と東京だ。
この2つの都市が、彼が一番よく知る街に違いあるまい。
が、家は一体どこなのかと聞かれると、ためらいなくこう答える
――台北、と。

台北は彼が生まれ育った地であり、親しい友人のほとんどは台北にいる。
すべてが始まったのもこの街だ。
心の奥深くにすむ永遠の故郷であり、一番気にかけている土地でもある。
ところが、大変皮肉なことに、最も愛する土地にいる時間が一番少ない。
台湾の映画産業が、日本や香港などの繁栄に比べ、
完全に後れを取っているからだ。
台湾映画が自分に場を与えてくれ、この土地で思う存分演技をする機会を作ってくれることを、
彼は心から願っているのである。

ゲームは好きだが、実は、マニアというほどではない。
日本では、彼のような人間はごく普通だと、金城武は笑った。

写真撮影にずっと大きな興味を持ってきた彼に、
将来、自分の写真展を開くつもりはないかとたずねると、突然大笑いし、
周りの人がいつも面白がって熱意に水をかけるんですよ、
自分では悪くないと思っているのに、なかなか認めてくれないのだ、と言った。
だから、縁次第ですね、チャンスがあれば、もちろん試してみますよ。
金城武はそう言う。

気ままな生き方

最後に話題を換えてみた。
芸能人になってからは、いつも何事に対しても淡白な金城武だが、
もし映画俳優になっていなかったら、今、何をしているだろう?

子どものころから医者や教師になるという決めている人は多いけれど、
自分は、まだ何になるなど考える前にこの世界に入ってしまったのだと、彼は言った。
いつ、何をするかは、チャンスがあればやる、そして経験を積む、
今やるべきこと、やりたいことをやるのが一番大事なことだ。
同様に、人生には得るものもあれば失うものもある、
自分は一般人が持つ自由は失ったけれども、その中から
多くの人が決して手にすることのできない貴重な経験を得ることもできた。
それは金城武にとっては重要な意味があり、
とても大事に思うだけでなく、非常に幸運だったとずっと思ってきた。

おしゃべりしているときの金城武は、もしかしたら、
おどけやさん、という言葉が最高に合うぴったりかもしれない。
たびたび口にする自分の体験や爽やかな笑い声、身振り手振りに、
その屈託ない率直さが表れている。

インタビューの終わり近く、彼と仕事をしているマネジャーを始めとするスタッフが、
日本風の生真面目さとは、ちょっと違うのに気がついた。
服装にしろ、挨拶の仕方にしろ、
多かれ少なかれ金城武の気ままさが感染しているかのようだ。
ひょっとして、金城武をあるタイプに分類するのは無理なのかもしれないけれど、
このように自由で心のままの自然さを感じさせる大スターの、
最もいい分類項目は、おそらく「金城武式style」ではないだろうか!  
men's uno 2008年6月号




「中国銀幕」6月号   21:20

中国の伝統ある映画雑誌が「赤壁」特集です。
主役たちへのインタビューを行っており、サイトで読めます。
金城武のところでは、他で見ていないスチールも。
内容は面白そうなので、men's unoの後で挑戦です。

   




「死神の精度」@目黒シネマ

東京では今日からこちらで「死神の精度」の上映が始まりました。
目黒駅からすぐ近くのところに、本当に映画が好きで大事にしていて、
客に見てもらいたい、と思っているのが伝わる映画館で下。
100席でスクリーンは小さいけど、映画好きらしい人たちにまじって
久しぶりに鑑賞してきました。
近くの方は、ぜひ。

 


映画に関する記事を拡大コピーして何枚も張ってくれたり、
このように金城武出演映画のチラシとプロフィールがあったり、
懇切丁寧なんです。楽しくなってきます。      


BBS  ネタバレDiary  1:10


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