武ニュースDiary


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2006年04月29日(土) もし、金城武を愛したら(ファンの思い出)下

昨日の続きです。


もし、金城武を愛したら・2

実際、金城武のニュースはいつだって多くない。
彼は控えめな人で、こんなに長くスターでいるのに、
あまり自分を表現しようとしない。
長い休暇のときでも、家でゲームをしているだけ。

事務所の人に日本語の通訳を頼まれ、
なのに日本語をまた日本語で伝えてしまったりする。
ミュージック・ビデオの撮影用に借りた豪華な別荘を見て、
貯金して両親に買ってやりたいなあと思う。
大Sにインタビューのとき、求婚され、家で母親に聞いてくると答える。
なんて可愛い子なんだろう〜〜〜もしかしたら、
本当にただの子どもなのかもしれない。

あなたを愛したかつての美少女は、
とっくにたおやかな大人の美女になってしまったけれど、
30になったあなたの真実の愛はどこにあるの?

ちまたでは、小武はゲイだとか、恋人は日本の一般人だとか噂が流れる。
初めて聞いたときは、憂鬱になって何日も新聞を見る気になれなかった。
数日後、悟った。
愛するには、独占する必要は少しもないのだ。
好みへの干渉などしようもない。

あなたは島のようなもので、
ファンでいるということは、岸辺に打ち寄せる波。
周りにいてあなたをじっと見ていられさえするなら、
あなたを守ってあげられるなら、それだけでこの上ない満足なのだ。
私たちの幸せとは、実はとても簡単で、
つまり、あなたが絶えず良い映画に出てくれて、感動させてくれること、
もっと好きにならせてくれることなのである。

それでは、あなたの幸せとは一体なんなのだろう?
「パラダイス!」の殺し屋のように、寿司屋を開くこと?
あるいは「ダウンタウン・シャドー」のジャッカルのように、
カリブの小島を買うこと?

幸せというと、真生と啓吾の物語を思い出す。
あの感情は何だったのだろう?
幸せなのだろうか?
啓吾が真生のラーメンのチャーシューを食べるとき、
啓吾が真生に自分のポスターを盗ませるとき、
啓吾が真生と橋から飛び降りるとき、
真生が白いばらを散らせてこの世を去ったとき、
それは幸せだったのだろうか?

私はそうだと思う。
「神様、もう少しだけ」は1998年の連続ドラマで、私は2000年に見た。
これは小武が私にくれた一番大きな感動だった。
1回しか見る勇気がないのだが……

「神様」の後、小武は「二千年の恋」と「ゴールデンボウル」にも出ている。
どちらもDVDを買ったが、まだていねいには見ていない。
小武の出演作品を見るときは、1人で静かに鑑賞しなければならないから……
ちょうど今日観た「如果・愛」と同じように。

学校とアルバイトのせいで、今日初めて「如果・愛」を見た。
――というのは、実は言い訳で、理由は泣きたくなかったから。
でも、小武が最初の歌を歌うシーンで、耐えられず泣いてしまったのだが。
自分でもどうしてかわからないが、涙が自然にあふれ、
「ラベンダー」の駅のホームで汽車を待つシーンで、
小武がやっぱりこんなふうに泣いたなと思い出してしまった。

「如果・愛」を見る前に、林峰の「別恋」という数年前の映画を見た。
神様が仕組んだのかどうか知らないが、今日見た映画は2つとも、
「忘却」と「記憶」と密接な関係があった。
恋愛映画を見れば見るほど、自分は恋愛に向いてないように思えてくる。
というのも、私は入り込むたちで、すぐ泣くからだ。
一緒になるのは、笑顔のためではなかったっけ?
私は全く要領が悪く、
嬉しかったことを忘れてしまったことも覚えていないし、
いつも素晴らしかったことを忘れてしまう。

だから、私はやっぱり小武の映画やドラマを見るのが向いているのだ。
何度も味わいながら見直す幸せ、悲しくて泣いても2日たてば大丈夫。
そう、それが私の生き方なんだ。

10年前、「偸偸的酔」を聞いてから、悲しい愛に憧れるようになった。
9年前、「多苦都願意」を聞いた後、ある小武によく似た男子に片思いをし、
これこそ「我愛的她有你的影子」(ぼくの彼女には君の面影がある)だと考えた。
その後は、ただ彼の昔の歌を聞くだけになった。
そう、彼は本当に長い間、私たちのために歌を歌ってくれなかったのだ。

金城武の歌が心から聞きたい。
後に大勢の歌手の歌も聞いた、
例えばジャッキー・チュン、黄磊、林峰、イーソン・チャン。
本当のことを言うと、彼らはみんな小武より歌が上手い。
でも、彼らの歌には寂しさがない。

小武の声は、それ自身が寂しさを持っている。
もしかしたら、その特殊な家庭環境が関係しているのかもしれない。
彼は日本人とは言えないし、中国台湾人でもないし、ましてや香港人でもない。
以前は国際結婚というのは華々しいことのように思っていた。
混血の子は普通とても賢い。
大きくなるにつれ、そういう子どもたちが大きな寂しさや孤独を
抱えているのだということがよくわかるようになった。
だから、小武の声に寂しさが聞き取れるのだ。
これは唯一無二の、他の誰も替わることのできない声だ。
「如果・愛」で小武が歌ったとき泣きたくなった原因も、
ひょっとしてそれかもしれないと思う。
何年も待った、そして金城武は再び歌を聞かせてくれた。

10年の時が過ぎ、今年後半には、私は正式に社会に出て、学生の身分を離れる。
小武も、かつてのアイドルスターから、今や台湾金馬奨が
あらゆる人脈を使って初めて出演が可能になるような、大スターに変身した。
私たちはみな、かつての自分とは同じではない。

10年の間には、何人もの芸能人が、私のちっぽけな世界に踏み込んできた。
仔仔や我が家のおぼっちゃん、林峰のような人たちだ。
けれど、私にとって何よりも大切なのは、やっぱり金城武なのだ。
なぜなら、彼は1番早く私の心の世界に住み着いた人だから。
それは永遠に変わることがない。   (完)
(望月影児・文 2006.1.20)



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