武ニュースDiary


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2005年06月05日(日) 昔の話

96年から97年ぐらいの話ですかね、
KIMIKOさんが、主に中国時報からいっぱい拾ってくれている中から、
今、大した動きもないし、少しアップしてみます。

1つはスターストーリーとして、
穏やかな金城武にも、こんなことあったよ、というもの。出典不明。

もう1つは、ウォン・カーウァイ映画のプロモで来日していたときのじゃ
ないかと思います。



城武の手には小さな傷跡がある。
小さく、人は気が付かないが、金城武にとっては、少年の日の成長の刻印だ。

金城武は上品で、裏表がなく、たとえ怒り心頭に発しても、
決して荒々しい言葉で人を罵ったりしない。
が、彼は、自分も子どものころ、かっとしたとき、
激するままに自動車のガラス窓をたたき割って
うっぷんを晴らしたことがあったと言う。
ひどく出血して、傷跡は今も残っている。
しかし、この流血経験のあと、彼は心を平らかに持って
冷静に人と社会に対することを学び始めたのだった。

彼は、そのとき、腹が立ってどうしようもなかったのだという。
友達と言い争いをしたか、ひどいことを言われたか、
でなければ相手の言ったことが彼の自尊心をひどく傷つけたかで、
気持ちがコントロールできなくなってしまったのだ。

なかなか血が止まらず、医者に行って止血してもらったと、
彼はそのときの様子を語る。

彼が言うには、今はもうそんなに腹を立てることはないし、
下品な言葉を口にもしない。
というのは、子どものころにそういう経験をしたことで、
不適切な言い方をするだけで簡単に人を傷つけること、
まして荒っぽい言葉を投げつけたらどういうことになるかを、理解したからだ。
このころの刻印は、傷の痛みという代償を払ったけれども、
大きく彼を成長させ、得るところは多かったと金城武は語った。


が高くハンサムな金城武は、口数が少ないが、
一度口を開けば必ず人をびっくりさせることを言う。
周囲の人何人もの話を聞くと、彼の考え方は確かに普通の人と違っている。
例を挙げれば、もっとよくわかるだろう。

あるとき、彼が東京で、翌々日受ける予定の
日本のマスコミの取材の準備をしていたとき、
不意に、新しい靴を用意して、マスコミの人たちにいい印象を与えなければと
ひらめいた。そこで、泊まっていた新宿の旅館の近くで、
かっこいい新しいバスケットシューズを買った。

新しい靴を履いてみると、今度は靴が新しすぎて足を痛めると思い、
人に笑われながら、新宿の街を疾走し始めた。
靴を履き慣らして緩めつつ、ついでに町を見物するつもりだった。

ところがなんと、その夜金城武はどんどん遠くに行ってしまい、
あんなに大きい新宿の街だから、道に迷って旅館に帰れなくなってしまった。
公営民営の地下鉄に行ってみても、どれも運行は終わっており、
街頭の人影もすでにない。
彼は一人ぼっちで街中を歩いた。
生存本能を頼りに、最後には月の明かりのおかげで道を見つけて帰りついた。
もちろん、靴はとっくに緩んでいた。

旅館に着いたとき、金城武の両足はマヒ状態で感覚がなく、
部屋に入ると、すぐ棒のように布団に倒れこんで、動くこともできなかった。
2日後、その靴を履いて彼は日本のマスコミの取材を受けたのだったが、
足はまだ棒のようにマヒしたまま、顔には憂いのような表情があらわれて、
逆に一種の魅力を生み出していた。

金城武の考え方は変わっていて、たまたま飛び出した一言二言でも、
人を驚かしてやまないといった感じだ。
以前、ある人が彼に「おい、最近すごく景気がいいな」と言ったところ、
彼は間髪を入れず、答えた。「いつもこうじゃない?」
(科芸百代)


BBS  13:45


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