武ニュースDiary


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2003年06月14日(土) 「向左走、向右走」製作発表会のエピソード

加勢大周のお話のはずでしたが、「向左走、向右走」関係で
マレーシアの記事が面白かったので、寄り道します。
気分は今、「向〜」でもありますし。

4月末に製作発表会が香港であったときのこと、
招請を受けてマレーシアからも「星州日報」の記者が取材に赴きました。
今さらですが、香港・台湾の記事と趣が違っているのでご紹介。

*********

2月末にワーナー・ブラザーズ・マレーシア支社から話があり、
「向〜」製作発表会の取材に招かれて香港を訪れた。
星洲日報はマレーシアで唯一招かれた新聞であり、
しかも主演男優は、めったにメディアに姿を見せない神秘の大スター金城武だものだから、
少なからぬ羨望のまなざしを免れなかった。
製作発表会では、マスコミは金城武に殺到し、
彼らには、ジョニー・トー、ワイ・カーファイ、ジジ・リョンは
まるで重要な脇役くらいにしか見えていないかのようであった。

発表会終了後、マレーシア、中国、シンガポール,日本などのマスコミによる
共同インタビューの時間がもうけられた。
映画会社は、監督2人と主演男女優のインタビューを、
10数人の記者を2グループに分けて行うことにしていた。
もし、トーとワイの2人を一緒にし、主演2人をもう1組にすれば、
20分間のインタビューは、十分話が聞き出せるものになったかもしれない。
あいにく映画会社には彼らの考えがあって、結局ジジ・リョンとワイ・カーファイ、
ジョニー・トーと金城武という組み合わせでインタビューは行われた。
監督と俳優の両方に気を配りながらのインタビューは、
出演者としての話を少し聞いたと思ったら、今度は監督する上での話に変わり……というふうに、
どちらも十分に聞くことができず、かゆいところに手が届かない感じになりがちだ。

20分の持ち時間ということで、みんなはまずジョニー・トーに狙いを定めた。
それから、おっとりして口数の少ない金城武をゆっくりインタビューするつもりだったのだ。
トー監督は汗っかきで、話に熱が入ると、ハンカチで顔をぬぐっては話を続けた。
その隣で、金城武はまるでおとなしい子どものように、もっぱら耳を傾けていた。
トー監督にいくつか質問がすんだころ、スタッフが済まなそうにやってきてこう言った。
「金城武はすぐ撮影に入らなければなりませんので、
最後に2つだけ質問をして終わりにしていただけませんでしょうか?」
(最後に2つ? 私達はまだ質問を始めてもいないのに!)

そこで、みんなはトー監督はちょっと「横においといて」、いっせいに金城武に矛先を転じ、
質問しようと先を争った。金城武を簡単に放してなるものか!
幸い、本当に2つだけということにはならず、金城武は1つ1つ質問に答えてくれたが、
最後には撮影をこれ以上遅らせるわけにいかないということで、
すみませんと言いながら、会場を去っていった。

面白かったのは、金城武が自分が何語で話したらいいか、迷っているらしかったことだ。
記者達がそれぞれどこから来たか自己紹介すると、彼は一々うなずいてニッコリした。
いよいよ質問に答えるとき、彼は言った。
「北京語で話しましょうか、それとも広東語の方がいいですか?」
結局、得意なほうの北京語で答えを返した。
(2003.4.27)


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