ノーエの日記

2005年06月25日(土) 今度は夕日バックで、海岸でかけっこをお願いします。

山田規三生八段の大ファンでいらっしゃる、ちょび様のブログ「ごごのつぶやき」に本因坊戦第4局の大阪解説会のレポートがありました。
そこにあった一文に、目が釘付けになり、許可をいただいて、引用です。

以下はそのままの抜粋。

禄子さんが第2局、鳥取に自分も行ってたんだけど、対局翌日、栩くんとタカオと毎日新聞の担当者2人の4人で、鳥取砂丘に観光に行ったらしい、と話してました。

「砂丘の丘になってるところで、張栩さんと高尾さんがかけっこをして、張栩さんが負けまいと必死に走ってたらしいですよ」

「碁に負けたから、せめてそこで勝とうとして?そんなことしてるから第3局負けちゃったんじゃない。」

覚先生って、案外ぴりっとキツイこともいうタイプなんですよね。

「はは。でもホントに二人は仲いいんですね。でも二人で何話てるんだろ?」

禄子さんもこのあたり本音っぽい感じでした。


覚九段の解説生で聞きたかったよ〜。本当にコレは覚九段でしかいえない覚節だわ〜〜〜〜ってかそれよりも!

あの、鳥取砂丘で???
丘(傾斜)になってるところで?
二人でかけっこ??
しかも、栩っくんが、必至に砂丘を走る姿ですと???

いやぁ…まだ対局残ってる最中にこの『絵』ですよ。
な〜に二人で青春やってんだか!って、突っ込むこっちが照れちゃいます。


少し昔の話。
私がまだ、ヒカ碁も碁の世界にも気付かなかった頃、羽根、高尾、山下が3羽ガラスと呼ばれていて、その少し後から追いかけるようにして栩っくんが入ってきて、四天王と呼ばれ初めた頃があって。
そんな経緯を知ったのは、四天王の山下が棋聖位を奪取せんとその手を伸ばした頃。

囲碁界の世代交代がやんや騒がれはじめて、あれよあれよという間に、栩っくんが囲碁界のTOPに踊りでて、今じゃ国内5冠、世界棋戦2冠の第一人者。
その栩っくんの前に、満を持して登場したのが、同じ四天王として、期待されていた実力者であり、研究仲間である高尾。

しかも、これがここ3〜4年の話で、二人ともまだ20代で、結婚したばかりって………。

どこで放送してる青春ドラマですか??って感じです。

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