ノーエの日記

2004年03月07日(日) 桜。

もう直ぐ桜。
白に近い淡紅色の花びらを陽に透かして、それ自体がぼんやりと光っているような桜の満開の姿が恋しくて恋しくて。
梅を見ると、とたん桜が恋しくなってしまいます。
どうしてこんなに日本人は桜が好きなんでしょうか?

佐為のイメージと桜がとても重なってしまってる所為もあって、今年はいつにもまして桜を待ちわびています。
思い余って、桜守の方のインタヴューを本にしたものを見つけたので、読んでみました。

その中で意外だったのは全国の80%を占めるという染井吉野の生い立ち。
桜の名所、吉野とはまるで関係なく、東京の染井墓地の植木屋さんが、『吉野山から採ってきた』といって売り出した桜だそうで、大島桜と江戸彼岸桜が天然交配して生まれた一種の突然変異なんだそうです。
この桜の寿命が百年ほどしかないらしく、今満開に咲く染井吉野は既に50〜100年くらい経っているわけですから、そろそろ寿命が尽きて来るはずなのだそうです。
染井吉野は人工的に生み出されたクローンのようなものなんだそうで、今ある若木を接木しても、それ自体が弱ってきているので、次世代の良い桜木にはなりにくいそうです。
(この話、今の遺伝子工学のクローンにもそうだと凄く納得。)

桜守の佐野籐右衛門さんは染井吉野がお好きではないそうです。
その理由はとても優しくて、ロマンティック。
それなりに納得もできるのですが、染井吉野自身はどんな風に自分が生まれて、ココに植えられたかを知らず、精一杯綺麗な花を咲かせてくれます。
嫌われるなんて、ちょっとかわいそうかな?と思いながら、今年の桜を見に行こうと思います。

それから少し択捉(えとろふ)桜のエピソードを読んでいて、どうしようもなく感動してしまいました。
人を寄せ付けない、寒くて厳しい環境の中で見事な花を咲かせる桜が、実はその環境でなければその木は育たなかったのだといいます。
もっと温かい場所、地味の良い場所の方が、桜にとって良い環境のように人の目には見えたとしても、その木がその場所で、満開に花をつけて咲き誇っているのなら、その桜の木にとっては最高の場所なのだと。逆に他の場所に移動させる方がその桜にとっては“過酷な環境”に移動させられるようなものだという言葉が、こころに染み渡っていきました。
なぜか、それが厳しい囲碁の世界でずっと育ってきてたアキラのイメージと重なって愛しくて仕方ありませんでした。

桜を待つこの次期に、桜とちゃんと会うための『礼儀』と『醍醐味』のコツを知るのも一興かと思います。
感心のある方は、是非。

集英社文庫
『櫻よ』〜「花見の作法」から「木のこころ」まで〜
佐野籐右衛門 聞き書き:小田豊二)


 < 過去  INDEX  未来 >


ノーエ [HOMEPAGE]