FayeBlue
目次過去未来


2001年06月20日(水) 最近気がついた事。


最近私は詩やエッセイを見る機会が増えた。
昔からそういうのは好きだったけど、アメリカ来てからは
その機会がめっきり減ったんだよね。

最近見るその詩やエッセイは本に載ってるものでもなく
有名なものでもない。
友達が書いたものだったり、
知らない人のHPに載せてるものだったりする。

先日友達の一人が自分が書いた詩を見せてくれた。
その時「何気に私も昔かいてたんだよぉ〜」なんて
話していたら、「今度FAYEさんも書いて見せて下さいよ。」
ってその友達が言ったのだ。

その日の夜私は一人でゆっくりできたので、
その事を何となく考えてた。
「そういえばいつから書くの止めたんだっけなぁ」なんて
ことから考え始めてしまった。

あれは中学生の頃だったかなぁ。
昔私はよく日記をつけてた。
その日にあった事とか思った事とか
好きな人のこととか。(これが主だったね)
その日記の終わりにいつも少しだけ詩を書いてた。
周りの友達には恥ずかしくて書いてる事なんて言えなかった。
でもある日なんでかは忘れたけど、友達(今となっては親友)の
一人との交換日記の中に私は自分の詩を書いたのだ。
笑われるかなぁ〜なんて思ってたけど、
その子は逆に詩を書いてきてくれたのだ。
それからよく詩の交換日記みたいなのになったなぁ。

今から考えると中学生の頃が一番色々な事に敏感だったり
沢山の事を感じてたり、考えてたんだろうなぁと思う。
感動屋さんだったんだろう。
それを自分なりの言葉で置き換えて
また違った大切な物として覚えておきたかったんだろうと思う。

けっこうロマンチストだったのかなぁ?
私は小さい頃から自分の事を表現するのが苦手だった。
特に言葉にして言うのが苦手だった。
恥ずかしかったんだと思う。
それを言葉に置き換えて、書いて伝える
もしくはただ自分の中にとっておくのが好きだったんだろうね。

それを考えた。
詩とかを書くのって、ある意味感動とか感じる心がないと
できないものだと思う。
私はいつの間にかその心をどこかに置いてきてしまったみたい。
違う友達にも書いてみれば?って言われた時
本気で書いてみようとも思ったけど、書けなかったのだ。

ただただ過ぎてく毎日の中で私は何も感じず
ホントだただた生きてたみたい。
その日その時の事で精一杯でゆっくり感じることを
忘れていたみたい。
悲しくなった。
何か大切なもの失したみたいで。

この情報世代の中、物凄い勢いで新しいものや情報が
入り交ざって、それについて行くのに精一杯。
ちょっとゆっくり立ち止まってみたくなった。
また昔みたく感動屋さんになりたくなった。
時間と周りだけにとらわれたくない。
そう思った。
また書けたら書いてみようと思った。



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