夢ーつれづれ日記
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2002年02月13日(水) あきら君さよらな・・。

2月13日
あきら君。
あきら君は、坊ちゃんと同室だったお友達。
15歳の男の子。
「もう、男か?<爆>」なんてままと話すほどの、しっかり者。
先天的の大脳欠損症で、元気に養護学校に通っていた。
めちゃ明るい、イタリア系のハンサムボーイだ。
その大きな眼と、まま自慢の、白いデッカイ!綺麗な歯をみせて
笑っていた・・。<歯のケアーは、ままの自慢>

まま様は、裏表のない、信頼のおけるお人柄で、
私にはとても、差さえになった人だ・・・。腹も頭もガラス張り・・<爆>

入院生活は1年3か月・・たったその間のほんの
数ヶ月のお付き合いにしかすぎないが、
私にとって思いは深い・・・。
「普通の脳性麻痺のつもりで普通に生活してたのよ!」ままは、いつも言っていた。
毎日5品目の手作り料理をお口で食べて、ハワイにも、行ったんだ!!
学校がダイスキなあきら君。

でも、15歳まで、自宅で無事暮らしていたのが「奇跡」なのだと、言われるほどの病気だった・
私が、出会った時は、すでに、厳しい状態だったにも関わらず、
あきらの、その明るさは、周りにも伝わっていた。
15年間の生活が、入院してからの、「その姿」にも、反映している・・・。たとえ、無言でも、変わりはてても、・・
15年という、歴史が輝いていた。それは、素敵な「障害の歴史」。
うらやましいほどの歴史・・。

い漏に、気管切開・・・予後が、悪すぎた。
厳しい状態が、続いた・・・・。
体位変換すら不可能な、その「戦士の姿」を見ながらも、ままはパワフルだった
何か、できることは、いい方法は・・・・思考錯誤しつつ、常にままも戦っていた。
手作りのマット、クッション、ベルト・・・周りの子の分まで作るまま・・・。
これが、あきらの元気の源だ!!

悔しいことに、私は、あきらの一番、過酷な状態しかしらない・・・・。
でも、でも、ちゃんとわかる。あきらが最高に、輝いて居たときを・・・。
こんなときでも、こんなに、最高にかっこよかったんだから!
きっと、それはすごーい、すごーい、言葉になんかならないよね!!
学校では、もっと、もっと、素敵だったんだよね!あきら!!
<ままは、障害手帳に3歳の頃の写真を今も貼っている<爆>

心臓中心の医療について、ままと、何度も共に語った・・・。

でも、今は、なぜか、疑問がうかばない・・。
それは、あきらが、まっとうしてくれたからだと思う。
ままが、乗り越えてくれたから・・・。耐えたから。
・・・・・・・・。
あきらが、ほんの少し、答えを出してくれた。勇気をくれた・・
ありがとう。
これからも、進むしかないのだろう・・・・。苦悩しつつ・・・。

2月10日
あきら君の魂は、ボディーを離れた。

世界で1番、綺麗な、無駄、邪気のない身体。
私は絶対にわすれない・・・。戦いを・・。慈悲を・・。

明日はお通夜・。
バレンタインデイが、お通夜なんて!
よっ!さすが!色男!!いい男!!


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